
1通目 仲西森奈から三浦康嗣へ
当記事は、2026年8月26日にサブスク配信・CD販売が開始された□□□の3曲入りシングル、その3曲目であり表題曲でもある「We See The Light」(以下、当該曲)に関する、契約社員(ボーカル)・仲西森奈と正社員(主宰)・三浦康嗣の往復書簡です。
※「契約社員」とは、2017年9月ごろからその年の暮れあたりにかけて催された□□□の新メンバー募集オーディションに合格した9名のボーカリストの呼称です。契約社員が加入したタイミングで、それまで□□□に所属していたメインメンバー(三浦康嗣、村田シゲ、いとうせいこう)は自らのポジションを「正社員」と自称するようになりました。これら呼称は明確な雇用関係によるものではなく、立場や構造に言葉を当てはめただけのものです。
まず始めに念のため断っておきたいのですが、この往復書簡は当該曲やそのMV及び□□□のプロモーションではありません。当該曲やMVに関して非常に煮えきらない思いを抱えている私(仲西)に対し、三浦さんからの提案でこのような場を設けることになりました。
往復書簡は三浦さんの個人サイト/ブログと弊サイト(当記事)でそれぞれ公開されます。弊サイトでは三浦さんからの応答記事のリンクを当記事に貼っていき、さらなる応答を当記事最下部に追記していく(当記事一本で流れが追える/通読できるような)形で公開していく予定です。三浦さん側の方法は三浦さんにお任せしています。
このやりとりがいつまで、どこまで続くのかはわかりません。1往復だけで終わるかもしれませんし、10往復くらい続くのかもしれません。これは大事なことのような気がするので書き添えておきますが、私そして私以外の、楽曲に参加した契約社員一同は、今回の楽曲参加に際し1円も報酬を受け取っていません(これは最初から提示されていて、参加した契約社員は全員その条件を承諾した状態で楽曲に参加しています)。なのでこの書簡がどう続くか、どう終わるかは気力次第です。しゃらくさいことを言えば矜持次第ということでもあります。
目次
前置きが長くなりましたが、三浦さんへ。早速本題に入ります。
まず当該曲MVに関して。MV制作が決定したタイミング、そしてMVの内容・コンセプトが決定したタイミングや経緯を教えてください。楽曲に参加した私含む契約社員/準メンバーにそれら情報が共有されていなかった理由についてもあわせて教えてください。
今回、私がここまで過敏に反応し情報の開示を求めているのは、当該曲MVがある一定の政治思想・主張・主義・メッセージをかなり直接的に(楽曲に参加した/歌唱を担った面々がみなMVによって示されたそれらの思想を共有していると容易に括られうる形で)描いた映像だからです。これは私がいくつかのマイノリティ(トランスジェンダー、宗教3世……)に属していて、かつ普段から個人としても作家としても明確に距離を取っている表象(たとえば〝デモ〟や〝レインボー/トランスフラッグ〟)があるからでもありますし、そうでなくとも、当該曲に参加した契約社員一同の権利(有り体に言うと内面の多様性や自由)を毀損していると考えます。当該曲及びMVは、参加者が自身の歌唱をどの政治的文脈に接続させるか判断する機会を奪っている。
この記事にも書きましたが、□□□はこれまでも、「聖者の行進」「合唱曲スカイツリー」などの楽曲で音楽面からいわゆる「政治」あるいは「アクション」に結果的にワンタッチしてきたグループです。「聖者の行進」のMVでは4分11秒あたりのタイミングで「〜月5日、日本ですべての原発が、止まります」という街頭スピーチめいた音声が流れますし、「合唱曲スカイツリー」では東京の環状道路/環状線とはべつに、皇居から伸びる放射状の道を「放射線」と名付け、3.11以降の原子力発電所周りのイシューをそれとなく仄めかす造りになっています(「合唱曲スカイツリー」の〝風が吹いてまいりました〟というセリフ部分も、放射能/当時の問題意識を彷彿とさせますね。放射性物質は風に乗って雨に乗って大気を移動するので)。なので、そういう部分に対していまさら(?)深くつっこみたいわけではありません。ただ、「聖者の行進」「合唱曲スカイツリー」あたりの楽曲と当該曲及びそのMVではメッセージや態度の露骨さがまるで違うし、歌唱パートに関わっている「正社員」の面々とそれ以外の面々の関係性も違う。時代の流れ、時の流れ、それらの変化、三浦さんやシゲさんやせいこうさんの加齢、私含む契約社員一同の加齢、それらによる変化、いろいろあるでしょう。大衆意識の変化もきっとある。「もうこの際正直誰でも良いから、このタイミングで戦争反対、平和主義を全面に押し出した曲出してくんないかな。」と思っている人はきっと一定数いる(以前からいただろうけど、年々増えている/声が大きくなっている/過敏に反応されやすくなったような気がする)(私はこういった主張にはまったく同意/共感できませんが)。
私は契約社員一同のことをひとりひとり極めて一方的にリスペクトしています。私が契約社員「一同」を代表するつもりはありませんし、実際できない。みんなのことが私はわからない。なのでこれは勝手にみんなのことを思っているだけですが、いかなる政治思想・主張・主義・メッセージであれ(それが仮に世間で〝正しい〟とされ〝正義〟とされるものであったとしても)政治的な文脈、土俵に、□□□に関わる面々のなかでも「契約社員/準メンバー(つまり下部構造に属している)」と称されるほとんど全員を許可なく引きずり出したという意味で、深刻な話だと思います。もちろんなかには気にしていない人もいるだろうし、実際ここまで敏感に反応しているのは現状、私だけです。そもそも最初から楽曲に参加しなけりゃよかったじゃないか、という反論もあるかもしれない。しかし、参加を決めた時点でMVの構想を知らされていなかった以上、私は自分の歌唱がどのような政治的文脈に置かれるかを踏まえて参加の可否を判断することができませんでした。今回の件はあまりにも一同/各々に対するリスペクトがなく、契約社員を政治的なメッセージの正当性の一部としてただ道具のように利用しているとしか感じません。それが私は、こう言ってしまっていいのなら、契約社員として、□□□のいちリスナーでもある身として、哀しいです。
体制側のプロパガンダやその萌芽には過剰防衛なくらい敏感なのに、反体制/プロテスト行為をしようとしてその手つきが却ってプロパガンダめいてきたり、そばにいる他者を搾取したり毀損したりすることに鈍感になったりするようなら、いまいちど立ち止まり、何度も深呼吸してほしいです。これは私の勝手なお願いです。
それと、単にアイデアのひとつとして思ったことでもあるのですが、当該曲のコンセプトが〝デモ〟や市井の人々の〝生活〟であるなら、この曲に参加することにした人たち(契約社員やその他の面々)のインタビュー記事等をまずプロモーションとして打ち出したほうが良かったのではないでしょうか。□□□というグループとしての(三浦康嗣名義ではなく□□□名義で当該曲を出すことによる)態度のようなものと、当該曲のコンセプトと、メンバー構成と各々の声の大きさが、今回はすべて矛盾しているように思います(朝日新聞の記事やインタビュー、その他メディアのインタビューも一通り読んだ上での感想です)。せいこうさんの「わたしたちの生活を返せ/それも正しく」「それであなたたちはなんて、なんて、なんて、なんて言う?」などの朗読にいまいちシラケてしまうのは、詰問される側(You)の矛盾や瑕疵にばかり唾を飛ばし言い募るあまり、詰問している自分たち(We)の矛盾や瑕疵がガバガバになっているからだと思います。端的に言ってダサい。かっこわるいです。
初回で長くなりすぎるのもお互いにとって負担だと思うので、1通目はここらへんにします。最後に当該曲MVに関する希望・要望と、今回の書簡での質問をまとめます。
【希望・要望】
①当該曲MVのYouTube概要欄に、当記事のURLを貼ってください。
https://morinakanishi.com/fao_kuchiroro/
②今後私がライブに出演する機会があるとして、そして当該曲をセットリストに入れるとして、私は当該曲を歌わず、その場に棒立ちするか舞台からはけます。その選択を認めてください。私以外の契約社員が同様の申し出をした際にも、その人自身の選択を認めてください。
③当該曲MVのYouTube概要欄に、「I See The Light」のURL を貼ってください。
https://youtu.be/p-r2wlYw3lg?si=i8XT_G_zYkyndXXr
もしくは
https://morinakanishi.com/log21/
※上記は①から順に強く希望します(③はできたらでいいです)。
【質問】
① MV制作はいつ、誰の発案で決定したのか。
② 内容・コンセプトはいつ、誰が決定したのか。
③ ①・②に際し、なぜ歌唱参加者/契約社員一同に事前の共有や意思確認を行わなかったのか。
④ 参加者の歌唱が映像内の主張への賛同として受け取られる可能性を、制作側は検討したのか。
※答える順序等は三浦さんにおまかせします。
これを読んでいる三浦さん以外の人たちへ
最初にもすこし書きましたが、すくなくとも私側がこの往復書簡を書いて応答を続けていくことは、□□□の契約社員として、また仲西森奈という個人/作家としての気力や矜持で成り立っています。綺麗事だけでは続けられませんし、正直やってられません。今回の件で私を知った人もいることでしょう。よければ拙著を買ってください。こことかこことかここで買えます。『ホームページ』って本がいまのところの自己ベストです。このサイトもなかなか個人で張り切っているサイトなので、知らねえデカい公園を通り抜けるような気持ちであちこちページを覗いてみてください。
ライブでは「いつかどこかで」の「今夜も眠れずTwitter Twitter Twitter mixi〜!」あたりを主に歌っている
仲西森奈
2通目 三浦康嗣から仲西森奈へ
https://koshimiura.net/blog/260902
3通目 仲西森奈から三浦康嗣へ
三浦さんからは「(再応答は)1ヶ月後でも全然いいよ」という連絡をもらっており、実際それくらい時間がかかるかもしれないなとも思っていたのですが、「□□□としてCD、配信、MVについての今後の扱いについて検討中です。」という2通目末尾の文言にはなるべく早めに応答したほうがいいなと判断したため、やや急ぎ目でいまこの文章を打っています。
私は当該曲の収録されたCD、サブスク配信、MVの販売停止・配信停止・非公開を望んでいません。
1通目の【希望・要望】は、当該曲をキャンセルするために提示したものではなくむしろその逆で、当該曲及びCDそしてMVを(いまの状態のまま)販売・配信・公開し続けるために求めたもの(修正パッチのようなもの)です。逆に言うと、たとえば1通目で提示した【希望・要望】がひとつも通らなかった場合は、そういう話の展開もありうるのかもなとは思っていました(本望ではなくあくまで〝ありうる〟という程度の弱い想定です)。
けれどこの往復書簡の2通目を読む限り、三浦さんにはすくなくとも謝意がある。最大限こちらの意思や意図を汲み取り、向き合ってくれているとも思っています。
あらためて仲西、ならびに歌唱参加者/契約社員のみなさまにこの場を借りて深く謝罪いたします。
この言葉を書いたのならなおさら、販売停止・配信停止・非公開はしないでほしいです。(※1)
そして1通目に提示した【質問】に関して。MV製作の背景含め、仔細に答えていただきありがとうございます。
通常(なにが通常かわからないなと書きながら思いましたが)、このような出来事、このようなやりとりがあった場合、ここから私側による制作環境の改善要望やさらなる質問が続いていくのだと思います。が、私からは情報開示以上に求めていることは特にありません。(すくなくとも契約社員が関わる現場においては)改善してくれとうっすら思わないでもないですが、□□□における身の置き方や態度をいまいち固めきれずにいる契約社員/準メンバーという立場である私に、現状そこまでの権限はないと感じています。
ここまでが、私からの再応答として最優先で書かないといけないと思ったことです。
ここから先は補足あるいは余談のような内容になります。すこしまとまりのない書き方になるかもしれませんがご容赦ください。
□□□はこれまでも、「聖者の行進」「合唱曲スカイツリー」などの楽曲で音楽面からいわゆる「政治」あるいは「アクション」に結果的にワンタッチしてきたグループです。
1通目のこの文章で私がいちばん重しを置いていたのは「結果的に」という部分です。言い換えるなら「無自覚的に」でしょうか。言葉遊びめいてきますが「非政治的に(政治にワンタッチした)」とも言えそうです。
そもそも僕自身は両曲とも(「聖者の行進」の作詞作曲、MV制作に僕は一切関わっていませんが)政治的な曲だとは考えていません。
という、三浦さんからの応答がこの「結果的に」をある程度補強してくれたように思いますし、このあたりの部分に関しては、私の1通目で書かれたことと2通目で三浦さんが書いたことは実はそこまで対立していなさそうだなとも思っています。生命あっての政治であってその逆ではない。同感です。
そして私は/私も「政治=原発」と思っていません。イコールとは思っていない。強いて記号で表すなら「原発∩政治」(〝原発〟と〝政治〟には交わりうる領域がある)でしょうか。原発の問題には政治が含まれ、政治の問題には原発が含まれる。とはいえ今回、私も「政治」という言葉を話の俎上に雑に登場させてしまったなという反省はややあります。
今回の往復書簡に対するいまのところのSNS上での反応として、「政治活動に拒否反応の強い人/政治活動アレルギー」といった言葉が見受けられるのですが、私はおそらく〝政治活動アレルギー〟というわけではないし、私なりにそのような行動をしてきた過去もあります。
たとえば2021年ごろ、施政者によるセクシャル/ジェンダーマイノリティを指しての「種の保存に反する」といった発言を受け、私は「種の保存に反するグッズ(Tシャツ、ステッカー、缶バッチetc…)」をSUZURIで作って自ら購入し、その年の夏はいかなる場所でも(職場で働くときも、友人と会うときも、家にいるときや寝るときも)そのTシャツしか着ないしそれらグッズをリュックやノートPCに付ける、といった個人的な行動を起こしていました。「種の保存に反する」という言葉を、生命を脅かす他者の言葉から自分のアイデンティティに変換しようとしたんですね。
https://suzuri.jp/mori_na_kanishi
上記の行動をひと夏続けてどうなったか。本筋ではないので簡潔に言うと「あ、(このまま続けたら)死んじゃうかも」という状態になりました。
「個人的なことは政治的なこと」という言葉がありますよね。三浦さんがこの言葉に対してどのような思いを抱いているかはわかりませんが、私はこの言葉/主張に関しては懐疑的、あるいは新興宗教で言う1世信者的なスタンスだなと感じています。
新興宗教における1世信者と2世・3世信者のおおまかな違いは「自分でその立場を選び取ったかどうか」です。1世信者は人生の途上で、なんらかの出会いやきっかけがあってその宗派、その教義、その信仰を選んだ。対する2世・3世信者は生まれたときからその宗派、教義、信仰のなかに身を置くことになるわけです。信じる信じないという話ではなく、ただただ生育環境としてデフォルトがそうである、という状態。「個人的なことは〜」に置き換えると、2世・3世信者は最初から(この言葉に賛同するとかしないとかとは関係無しに)「個人的なこと(そのすべてあるいはほとんど)は政治的なこと」という状態から人生がスタートするわけです。
トランスジェンダーとして、また宗教3世という立場である私としては、「個人的なことは(とはいえ、やっぱり)個人的なこと」という領域をいかに人生のなかに(後天的に)確保していくか、ということが、この世を生き延びるための死活問題になってきます。三浦さんの言葉を借りるなら、死にものぐるいで「のんき」な状態を後天的に作り出す必要があるわけです。私が今回、当該曲MVに関してこのような反応を示したのは、必死こいてこさえたその「のんきさ」が、同意無き形で再び政治的に絡め取られたと感じたからでもあります。
それと、この往復書簡で私は「手続き」や「コミュニケーション」や「同意無き動員」の話を繰り返ししているつもりです。それらと「政治」あるいは「政治的スタンス」は、繋がっているようで別々の話題です。
また個人的な話になってしまうのですが、かつて私が幼かったころ、新興宗教の集会所には信者のように振る舞う政治家が複数人出入りしていました。彼らはもしかしたらほんとうに信者だったのかもしれない。しかし彼らは、近場の河川敷などに信者を集め、信者同士の交流のような態度で写真を撮り、それを政党あるいは彼ら個人の活動報告や広報誌に載せたりもしていました。「地域住民との積極的な交流を行なっています」とかなんとか後付けのキャプションをつけて。
私が繰り返しているのは、「政治的スタンス」や「主張」の話のようで、そうではありません。〝正しさ〟や〝正義〟や〝連帯〟に酔った結果、「手続き」や「コミュニケーション」の仕草や「同意無き動員」というそのプロセスが、当該曲で〝あなたたち(You)〟と名指されているであろう人らが行なってくる想定のものと同質/鏡写しになってもいいのですか?ということです。同じ事をしているけれどいいのですか、という、そういうことです。当該曲リリース前に公開された三浦さんのPodcastにおいて、三浦さんは4分35秒あたりのところで「心無い政治家ごときに、楽しいとか嬉しいとかそういう感情をてめえらごときに奪えると思うなよ」と言っていますが、その〝心無い政治家〟と〝結果的に〟同じことをしてしまっているのが当該曲のMVにまつわる制作プロセスだったのではないかなと感じています。そしてもうひとつ言うなら、私はそのような施政者に心が無いとも思いません。またも自分ごとにやや引きつけて書きますが、杉田水脈がかつて『新潮45』において「『LGBT』支援の度が過ぎる」と書いたのは、むしろ彼女には彼女の心があったから、だと考えています。あるいは「心がある/無い」という語り口や「心」というものそれ自体を、私は疑っています。
非常にシンプルに言い換えると、今回の件を私は、「うちで踊ろう」を勝手に使った安倍元首相と「関係ありません」と声明を出した星野源、の構図として捉えています。

※これは当時私がスクショしたものです。「リポストやツイート等して頂いて構いません。」とあるのでここに貼りましたが、問題がありそうなら削除します。
通常(なにが通常かわからないなと書きながら思いましたが)、このような出来事、このようなやりとりがあった場合、ここから私側による制作環境の改善要望やさらなる質問が続いていくのだと思います。が、私からは情報開示以上に求めていることは特にありません。(すくなくとも契約社員が関わる現場においては)改善してくれとうっすら思わないでもないですが、□□□における身の置き方や態度をいまいち固めきれずにいる契約社員/準メンバーという立場である私に、現状そこまでの権限はないと感じています。
というこの箇所についても補足したいことが若干あるのですが、今回はここまでにします。三浦さんがこれ以降さらに応答するかどうかはおまかせするので、もし再々応答/4通目が公開されたら、そのときはこの部分についてもすこし書こうかなと思っています。
※1(2026.09.11追記)
販売・配信・公開を(いまの状態のまま)続けてほしいというのは、あくまで私個人の希望です。ほかの歌唱参加者/契約社員が自身の歌唱の使用やクレジット掲載を望まない場合には、その意思も同様に尊重されるべきだと考えています。そして私としては(ここまで踏み込んだことを書いておきながら、ですが)、正社員である3人やレーベルの意思決定を尊重したいという気持ちもまた同時にあります。今後の扱いを私の希望だけで決めてほしい、という意図/頑なな意思表示ではありません。ということだけ、念のため追記させてください。
4通目 三浦康嗣から仲西森奈へ
5通目 仲西森奈から三浦康嗣へ
3.「CD回収、配信停止、MV削除」の上、参加希望者のみの歌唱/演奏/ミキシングによる音源を作り直し、差し替えた上で「CD再リリース、配信再開、MV再アップ」を考えていること
先述の通り、3.は、全ての楽曲参加者に対して選択の機会を奪ってしまった音源が世の中に存在してしまってはならない、という□□□正社員の総意ですが、2の結論を反映すると、音源の実質の変更点は仲西の歌唱データのミュートのみになります。だが仲西は音源差し替えを望んでいる訳ではない。
音源やMVに比べ、聴かれる人数は圧倒的に少なく、クラスターも狭く、記録も残らないライブ会場で当該曲の歌唱を拒むことを望むのであれば、なおさら音源、MVにある仲西の歌唱/クレジットは早急に是正するべきことだと□□□正社員は考えていますが、仲西自身がこれを望んでいない以上、果たして3.に踏み切って良いのだろうか?このことの判断がつかないまま、この返信に一週間近くの時間を費やしてしまいました。そして未だにこのことについての結論を見い出せていません。ですので一つ質問させてください。
なぜ3.についてはこれを求めないのでしょうか?
この質問の答えを当該曲の今後の取り扱いの参考にさせてください。
三浦さんが4通目に書いていた「3.」及びそれに関連する問い(以下、まとめて「問い」と書きます)に対して解答します。いくつかの理由があり、その理由や解答の芽のようなものはすでに1通目と3通目(あるいはこの往復書簡全体)に点々と書かれているので、もしかしたら以前書いたことと重複するような内容になってしまうかもしれませんが、ご理解ください。
改めて書くと、私は当該曲及び当該曲収録のCD、サブスク配信、ならびにMVの販売・配信・公開停止を望んでいるわけではありません。また、「問い」にもあるような作り直しや差し替えを望んでいるわけでもありません。
全ての楽曲参加者に対して選択の機会を奪ってしまった音源が世の中に存在してしまってはならない、という□□□正社員の総意
は、私なりに理解しているつもりですし、共感する部分も心情を汲める部分もあります。が、仮に当該曲(及び当該曲収録の〜)が販売・配信・公開停止になり、作り直され、差し替えられたとして、「仲西森奈」という人間が当該曲に参加し(一度は参加を決め)た記録や記憶や痕跡は絶対に消えません。このネット空間に、楽曲に関わった人々やリスナーや私自身の記憶・意識に、それぞれが持つ端末に、(限りなく薄れいくことはあれど)残り続けます。作り直され差し替えられたとして、消えるのは元あった楽曲やMVのURLのリンク先だけです。それはなんだか歴史修正のようで嫌だな、嫌だなというか、その選択は避けたほうが/退けたほうがいいのではないかというのが、まずひとつ。
音源やMVに比べ、聴かれる人数は圧倒的に少なく、クラスターも狭く、記録も残らないライブ会場で当該曲の歌唱を拒むことを望むのであれば、なおさら音源、MVにある仲西の歌唱/クレジットは早急に是正するべきことだと□□□正社員は考えています
もうひとつ、この部分に関するところで言うと、私が重視しているのは聴かれる人数ではなく、(言葉や肉体の)置き方や態度や記憶です。どう書いたらいいのか難しいところなのですが、当該曲に関して歌唱を拒むという行為あるいは表明は、キャンセルというより「仲西森奈」という人間が選択する態度や、記憶に対するケジメのようなもの(こう言っていいのなら、「仲西森奈」なりの参加方法)です。加えて、ライブで歌唱するとなると、まずその前段階で当該曲を繰り返し聴き込み、繰り返し自主的に(自宅などで)歌唱し、スタジオで歌唱し、ライブ会場でも歌唱するという手順を踏むことになります。それは当該曲及びその歌詞、言葉、メッセージを肉体に何度も何度も取り込む行為でもあります。私にとってその行為及び選択は、現行の当該曲及びMVにある私の歌唱/クレジットをそのまま残すことよりも負荷が高く、そして肉体や記憶に重く刻印していくような行為です。
これは大事なことのような気がするので書き添えておきますが、私そして私以外の、楽曲に参加した契約社員一同は、今回の楽曲参加に際し1円も報酬を受け取っていません(これは最初から提示されていて、参加した契約社員は全員その条件を承諾した状態で楽曲に参加しています)。
1通目の前置きとして書いたことで今回重要なのはおそらくここで、つまり当該曲への参加は私にとって(すくなくとも、金銭の授受が発生しないという意味においては)仕事ではない、ということです。念の為書くと「だから、金をくれ」あるいは「金をもらっていたら、黙っていたのに」などと言いたいわけではありません。仕事ではないということは、私にとって(あるいは「仲西森奈」という書き手/作家としての)気力や矜持がぎりぎり優先されてくるということです。気力や矜持は「意欲」や「関心」などの言葉に置き換えても構いません。そしてこれは
通常(なにが通常かわからないなと書きながら思いましたが)、このような出来事、このようなやりとりがあった場合、ここから私側による制作環境の改善要望やさらなる質問が続いていくのだと思います。が、私からは情報開示以上に求めていることは特にありません。(すくなくとも契約社員が関わる現場においては)改善してくれとうっすら思わないでもないですが、□□□における身の置き方や態度をいまいち固めきれずにいる契約社員/準メンバーという立場である私に、現状そこまでの権限はないと感じています。
3通目で書いたこの部分に関する補足でもあります。「仲西森奈」としての気力や矜持がぎりぎり優先される形で参加し(参加することに決め)た「□□□における身の置き方や態度をいまいち固めきれずにいる契約社員/準メンバーという立場である私」。三浦さんと私で今回噛み合っていない部分があるとすればそれは、三浦さんにとってこれは(三浦さん自身の、あるいは□□□としての)仕事で、私にとっては(□□□としての仕事、でありながら、同時に)仕事ではなく(「仲西森奈」としての)「気力」や「矜持」に拠るところが大きい、ということなのかもしれないなと、これは往復書簡を続けるなかで思いもしました。
他にもいくつか理由や意図はありますが、それらはここまで書いたことの補足/補強の側面が強いため、省略します。「問い」に関することでもその周縁でも、三浦さんから追加で私に問いたいことや疑問が生じた場合は遠慮なく仰ってください。できる限り応えます。