- 詩/朗読「山、あるいはピザーラお届け。川、あるいはあなたとコンビに。」
- 『ホームページ』補遺 あるいは誰か(にとって)の一里塚
- 「オンラインストア」運用開始
- 大垣書店のポッドキャスト『新刊さんいらっしゃい』(byうすもの談話室)に出演しました。
- 『ホームページ』刊行されました/販促企画「( )のホームページ」始まりました
- 文学フリマ京都10振り返り
- 文学フリマ京都10出展ブース位置が確定しました/当日の販売物や決済方法について
- ポッドキャスト「お湯屋崩れと都落ち」「正気じゃない夜に語りたい」2番組配信開始
- 「コンタクト」ページに個人情報の取り扱いについての記述を追加しました。
- 「メディア掲載情報」が整備されました。
- 『ホームページ』刊行記念WEBサイン会 @大垣書店(堀川新文化ビルヂング店)1月15日まで開催中
- 「仲西森奈のホームページ」を立ち上げました。
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詩/朗読「山、あるいはピザーラお届け。川、あるいはあなたとコンビに。」
詩/朗読
「山、あるいはピザーラお届け。川、あるいはあなたとコンビに。」
初出
いちろう・清原遥・仲西森奈展
「眼は見えて耳は聴こえて息をしているはずだけど眠りたりない」
(2022年12月20日 – 26日@恵文社一乗寺店ギャラリーアンフェール)




いちろう・清原遥・仲西森奈展
「眠りたりない日々だから米は炊け豆腐は切られ箸は置かれる」
(2023年6月10日 – 25日 @fuyafuya no ma)





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『ホームページ』補遺 あるいは誰か(にとって)の一里塚
『ホームページ』補遺 あるいは誰か(にとって)の一里塚

拙著『ホームページ』が刊行されてから来週で約1ヶ月。まだそれしか経っていないのかと正直驚いている。この間いろいろなことがあったような気がするし、そうでもないような気もする。とりあえずは選挙があった。結果は誰もが知る通り。ちなみにわたしは今回(こんなことをここで言ってもわたしに何の得もないし堂々と宣言することでもないのだが)誰にも投票しなかった。つまり棄権だ。こんなに積極的な態度で棄権したのは初めてかもしれない。種々様々に存在する野党に投票する気には到底なれなかったし、与党に投票してもしなくても結果は見えていた。高市自民を支持しているわけではないし、終末論的な”戦前”言説や絶望のポジショントーク、投票行動に対する断罪めいた感情論にもうんざりしていた(白票や無効票や棄権に意味はないからやめておけという束縛的な言説にもうんざりだ)。おまけに雪で道はぐずぐずだし風邪も引いている。そんな具合で。拙著にまつわる事柄としては文学フリマ京都に出展したり、大垣書店のPodcastに出演したり、自主販促企画を立ち上げたりと、ありがたいことにバタバタさせてもらっている。
Podcastに出演して拙著に関して諸々語ったときも、柿内正午の日記を読んだときも、あるいは刊行前からの予感としても抱いていたのだが、『ホームページ』は語ろうとすればするほど本としての造り、ガワの部分/コンセプトの部分しか語れなくなってくる。もしかしたらそれを打破する読み手が今後現れるのかもしれないが(きっと現れるだろうと信じてもいるし、柿内さんは春に出る『随風03』で拙著について言及してくださっているようだ。たのしみ)、現時点での感覚としては「厄介な本だぞこれは」といったところで、わたしはこの本について語りあぐね続けている。中身で作品で語れば/語れていればいいのだ、と言えば聞こえはいいが、そのような背中で示す態度は昨今(いや、もう随分前からとっくに)通用しないだろう。甘え。驕り。作家の怠慢。そう捉えられてもおかしくない。自主販促企画を立ち上げたところでそういった評価からは逃れられないだろう。そんな気がしている。
だから、……というわけでもないなこれは。わたしはいまたぶん”書きたい”と思っている。言葉としては出てくるけど文章になっていかないもどかしさがある”ここ最近考えていること”を、無理矢理にであっても。そういえばくるりの新譜が出ましたね。1曲目のタイトルは「たまにおもうこと」。
正直「これが『ホームページ』の概要です」「これが『ホームページ』の主題歌です」とでも言ってしまいたくなるような曲だ。あるいは「そもそもこの本のタイトルは『ホームページ』ではなく『変奏』だったんですよ」とでも言いたくなるような。
『ホームページ』所収作品のうちいくつかは、くるりの楽曲が制作や発想のささやかな始点/支点になっている。そもそものはじまりは『現代思想2023年5月号 特集=フェムテックを考える』(青土社)へ寄稿した「Coco壱と国鉄 あるいは野良のフェムテック」の制作過程での偶発的な連想と思いつきだった。「Coco壱と国鉄」はざっと要約すると「タイの国有鉄道の切符とカレーハウスCoCo壱番屋のレシートが”トランスジェンダー”や”フェムテック”といったキーワードで束の間結びつく」という内容なのだが、当初はこの随想に“段駄羅”や”ソングライン”や“羽咋のUFO伝説”や“舳倉島に漂着したロシア兵”といった(金沢へ引っ越してから得た知見を主とする)べつの要素と連想をさらに混ぜ合わせ、もっと得体の知れない内容にするつもりでいた。上記要素のうち“ソングライン”とはオーストラリア先住民であるアボリジニに代々口伝される歌(及びその歌によって示される道)のことで、わたしはこの言葉とその意味をくるり『ソングライン』をきっかけに知った。結局その構想は主に紙幅の関係で自主的に却下され、「Coco壱と国鉄」でこぼれ落ちた要素と連想は『ホームページ』所収の他の作品に流れ込んでいくことになる。
転がりながら、こぼしながら、こぼしたものを後続に拾わせるようにして書き連ねた軌跡が『ホームページ』なのだとして、この文章もその流れのなかにあるのだろう。ここから先はいわゆる”雑感”。まだわたしのなかでまとまっていないあれこれ、拙著刊行前からいまに至るまで薄ぼんやりと思考を覆っていたある傾向、ここ数日の思い、そんなことどもをいびつに列挙していく。執心に従う心身に人生を委ねたその先にある光景。いまわたしは何を思ったのだろう。
- 東京(のような人口過密地帯/都会)で起こっているのは多様性の醸成ではなく淘汰のプロセスなのではないか
- マイノリティを”守って”くれるのはほんとうに”左派”か(あるいはマイノリティは”守って”くれることを望んでいるのか)
- 与党に投票する層が”安心”と”達成”を求めているとして、(リベラル左派寄りの)野党が対抗するには終末論的な言説ではなく別の”安心”と”達成”が必要なのでは(”クソったれ”とか”吐き気がする”とか漏らしたり、支持できない施政者の言動を嫌味ったらしく糾弾したりしていたらシンプルに逆効果なのでは)
- (主にリベラル左派的な思想を持つ)当事者ではない人≒マジョリティがトランスジェンダーを”理解”したり”味方”だと思ったりするためにフェミニズム的な方向性をトランスに照射することはよくあるが、トランスジェンダー≒フェミニストではない。という事実をどれだけの人が認知しているだろう(当事者ではない人≒マジョリティはトランスジェンダーを”善”に包括できる存在としてしか守れないが、当事者は己が”善”であろうが”悪”であろうが守らなければいけない。そのアンバランスをどう見るか)
- “レインボープライド”と”トランスジェンダー女性”の食い合わせの悪さ
- 雑にカテゴライズした上で語るのを許してほしいが、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー女性、トランスジェンダー男性のなかで、ヘテロセクシャルなトランスジェンダー女性だけがヘテロな男性にのみ性的に惹かれる(身も蓋もなく言うと”男とヤりたい”し”男とくっつきたい”し”男と添い遂げたい”)。
- これが何を意味するかというと、ヘテロなトランスジェンダー女性はセクシャル/ジェンダーマイノリティのなかで唯一、圧倒的な/トップオブマジョリティである”ヘテロ男性”と積極的にコミュニケーションを取りたいと思っている。言い換えると、シス/トランス女性×シス/トランス女性のペア(レズビアン)もシス/トランス男性×シス/トランス男性のペア(ゲイ)も、個人としてもペアとしてもマイノリティなのだが、トランス女性×シス男性のペアだけ”彼女側はマイノリティだがペアとしてはマジョリティ”という組み合わせなのだ。そして、すくなくないヘテロなトランスジェンダー女性はそのペアを志向する。これが意味するところを大衆がどれだけ読み解けるだろうか
- 端的に(とっても身も蓋もなく)言うと、すくなくないヘテロなトランスジェンダー女性にとって”レインボープライド”的な空間は居心地が悪い(据わりが悪いと言い換えてもいいかもしれない)のだ。しかしではヘテロなトランスジェンダー女性はどこへ行けばいいのか。そのひとつの答えとしてわたしは”地方”があると思っている。
- けれどそれは、わたしが東京→金沢へやってきて恋人と出会った、というある種の成功体験による生存者バイアスでしかないとも思う。都心で生まれ育った者による軽薄な感情であることも自覚している。
- トランスとしての身体感覚や来し方をこうして言葉にしていくと、結局当事者であることによる”実感”に言葉や外部からの思考は打ち勝てないじゃないか、みたいな気分になってくる。そうではないと信じたい。
- だから(だから?)わたしは最近(というか数年前から)リベラル左派的な側に明確につく人々、フェミニズムなどなどに対して、身体的にかなり不信感を抱いている。ここで言う身体的とは「トランスジェンダーとして生きているわたしとして」みたいな意味だ。彼ら彼女らはたとえばわたしのような人を”善”や”正しさ”でしか肯定しない。わたしは、悪としてのトランスが肯定されうる状況を思考したい(たとえそれが車輪の再発明めいたものだったとしても)
- でもかと言って右派的な、保守的な思想になびいているわけでもない(と、思っている)。中道でもない(たぶん)。わたしのような人を明確に眼差している層が、いまこの国にはどこにもないと感じている。
- なんにせよ、「やらない善よりやる偽善」という、『鋼の錬金術師』で登場したあの有名なセリフ(もしくは2ちゃんねる発祥と言われている「しない善よりする偽善」)は、もうとっくに賞味期限が切れていると思う。今の世はきっと、「やる偽善」に誰もがうんざりしている。
- だとして、先日の選挙でリベラル左派的な政党が大敗した要因のひとつは、長い年月をかけてリベラル左派が提示できたのが「やる偽善」以外になかった、ということになるのではないか。
- 善、悪、偽善、偽悪、のなかでいま、偽善はいちばん価値が低いのだろう。偽善をやる限りリベラル左派は廃れ続ける。問題は、偽善を行う側がもはや自分たちの行いが善なのか偽善なのかも判別できない(メタ認知に乏しい)ことにあるだろう。
- ところでどうして”地方”なのか。ひとつには(これもまたとっても身も蓋もなく言うと)”意識の低さ”がある。あるいは福尾匠『置き配的』を最近読んだ上での語彙としては”意識の疎らさ”と言い換えてもいい。都会は意識が過密すぎて、どこへ行ってもどう有ってもどう振る舞っても自分が自分である≒トランスジェンダーであることが可視化されすぎる。意識のなかで存在感を主張しすぎる。それは当事者にとって(違う。わたしにとって)常にオーバーヒートに近い状態で暮らすことを意味する。
- “地方”では、自分が自分であること≒トランスジェンダーとしての自分を”忘れる”ことができる(もっともこれはおそらく”地元”とイコールではない。”都会”でも”地元”でもない”地方”……ということになるだろう)。言葉にする必要も、意識に上らせる必要もない。……というのは言い過ぎかもしれないが、ずいぶんと気楽であることはたしかだ。”地方”の人々が”トランスジェンダー”を”東京(のような人口過密地帯/都会/都心)に生息する生き物”として意識の外に置き続ける限り、わたしはここで気楽に生きていける。トランスジェンダー女性にとってそれは不可視化とはわけが違う。シスジェンダーとして生きていける≒パスの難易度が下がるということだ。
- それはもしかしたら、地方出身者が上京に見る夢のような感情とは真逆の感情なのかもしれない。狭い共同体のなかで”みんな”として溶け込みつつ無視されていく個を掬うために人は都会へ出ていく(のかもしれない)が、マイノリティは(というよりすくなくないヘテロのトランスジェンダー女性は)(いや違うな。このわたしは)あらゆる角度から雑多に掬われていく個に膜を張るために狭い共同体へ行き”みんな”に溶け込むことを望む。
- ものすごく単純化して言い換えるなら、マジョリティはエキストラ状態からキャラクター(主要登場人物)状態へと移行することを望み、マイノリティはキャラクター状態からエキストラ状態へ移行することを望む。これに関してはトランスジェンダー女性に限らずすくなくないマイノリティ全般がなんとなく思っていることなのではないかと感じるのだが、どうなのだろう。勘でしかないが。
- だからわたしはカミングアウト(そして言わずもがなアウティング)には当事者にとっての救いも未来もあまりない/乏しいと思っている(これは、わたしがカミングアウトという行為に対して”アウティングされる前に先手を打つ消極的自己開示”以外の価値を見出だせていないから余計にそう思うことなのだろう。カミングアウトはカミングアウトで暴力の一種なんじゃないか、とも思っている。バラされるくらいなら自分からバラす。当人にとってそれ以外のポジティブな意味って果たしてあるのかな。『呪術廻戦』における“術式の開示”のようなメリットが)。忘れること、溶け込むこと、”埋没”すること、語られないこと、考えないこと、意識が低い/意識が疎らな場に身を置くことに救いも未来も(どちらかといえば)ある。と、いまのわたしは感じているし信じてもいる。
- もうひとつ。都会的なコミュニティでは往々にして適用されがちな「マジョリティかマイノリティか」という分類/ポジショントークは地方ではぐずぐずになり「仲間かそうでないか」という分類に置き換わる。排他的ではある。保守的でもあるだろう。しかしひとたび仲間になれば「マジョリティかマイノリティか」という分類は溶けてなにがなんだかわからなくなっていく。「”忘れる”ことができる」とはそういうことだ。
- それにしても、わたしがこうして公に語り、ものを書き、仲西森奈という筆名/キャラクターが知られていけばいくほどわたしは生きづらくなるわけだ。こんな矛盾ってないよな。けれど、そうだと思っている。
- マイノリティであることを忘れたい。”プライド”を捨てたい。あるいは””レインボー”プライド”を捨てた先にしか”このわたしのプライド”はない。
- 昨年(2025年)、谷崎潤一郎『細雪』を読んでいた数週間はほんとうに充実していた。最高の読書だった。去年読んだ本のなかからベストワンを決めろと言われたら『細雪』を挙げるかもしれない。
- 〈この人の訛がことに著しく、この地方特有の、「たい」を「てゃあ」、「はい」を「ひゃあ」という風に発音するのがおかしくてたまらず、老人の口からその音が出るたびに三人眼を見合せて死ぬ苦しみをしているうち、「先祖のお位牌」と云うのを「先祖のおいひゃあ」と云ったとたんにとうとう笑いを爆発させてしまい、義兄の辰雄に苦い顔をされた〉
— 谷崎潤一郎『細雪(全)』(中公文庫)p.592 - 読みながら爆笑してしまった。悪童じみたふるまいすぎる。昨今のショート動画で見られる「〜〜で死ぬ‼️」みたいなノリって昔からあったんだろうな。「先祖のおいひゃあで死ぬ‼️」という合成音声が聞こえてくるようだ。
- 〈この人の訛がことに著しく、この地方特有の、「たい」を「てゃあ」、「はい」を「ひゃあ」という風に発音するのがおかしくてたまらず、老人の口からその音が出るたびに三人眼を見合せて死ぬ苦しみをしているうち、「先祖のお位牌」と云うのを「先祖のおいひゃあ」と云ったとたんにとうとう笑いを爆発させてしまい、義兄の辰雄に苦い顔をされた〉
- わたしの身体にも生理が来れば。子宮があれば。と言うと「お前は生理のつらさ/痛み/面倒臭さ/金銭的負荷を何も知らない」「いいですねそんなお気楽なこと言えて」「代わりに生きてみますかこの身体で」みたいなことを無限に言われそうだが、わたしからするとそれらを言える(言う資格、言えるだけの肉体的経験を有している)ことこそがわたしの望むところですよ、と思うわけだけど、それを言うとまたさらに「何も知らないで〜」という反応が来ることは明白で、話は平行線を辿る。
- かつて飲食店で働いていたころ、トイレのサニタリーボックスのビニールの色(たしか半透明の白だった)が気になるから黒にしよう、という意見がバイト仲間の女子数名から出てそのように変わったのだけど、わたしはそれがかなりショックだった。(仮にも女性であるのに)(生理という現象がわたしに起きないために)気付けない、発想にない、ということに愕然とした。もちろん誰にもそのことは言えず、当時は密かに、ひとりでかなり打ちのめされていた。
- 「トランス女性は女性です」という言葉は、そういうとき無力だ。違うだろ。女性じゃないだろ。トランス女性は、トランス女性なんだよ。と、たぶんそのときに初めてはっきりとそう思った。
- 「トランス差別に反対します」「トランス女性は女性です」といったハッシュタグ、宣言を、わたしはあまり快く思っていない。言ってみればそれは「やる偽善」だからだ。言葉の無力さ、行為の伴わなさに対する消極的な恩赦。わたしはわたしで、あなたはあなただ。そういう意味で、わたしは「トランス女性はトランス女性です」となら言ってもいいかなと思っている。いや、どうかな。それすらもいっそ、忘れてしまえたら。

作品集
ホームページ刊行:2026年1月26日
価格:2700円(税別)本文:572p
印刷:モリモト印刷
装丁:仲西森奈
組版:関口竜平
発行:本屋lighthouse
ペーパーバック|四六判 -
「オンラインストア」運用開始
「オンラインストア」運用開始

長らく準備中だった「オンラインストア」ページの運用を開始しました。
私家版歌集『日記』を販売していたころはBASEを利用していたのですが、文学フリマ京都への参加を機に導入したSquareでもECサイトを構築できると知り、それならせっかくだからと、ものは試しにそっちで作り直してみました。ちなみに現金決済不可です。うまくやっていけるだろうか。
2026年2月11日現在のラインナップは先に書いた文学フリマ京都で初売りした日記ZINE『ロングストローク』と連作掌編小説シリーズ2巻目の『名付けたものどもを追う道筋を歩きながら、』の2点です。『ロングストローク』に関しては卸してしまうと採算が取れない価格設定のため、オンラインストアとイベント出展での販売に限定する予定。『名付けたものどもを〜』に関しては各所への卸しを行うつもりですがそちらは別途準備中(というか思案中)です。ひとまずはこのオンラインストアで売っていきます。
新刊『ホームページ』は当面のあいだ(あと半年〜1年くらいは)、仲西森奈のオンラインストアでは販売しないつもりです。本はなるべく書店で買ってほしいなという気持ちがある。もろもろ頃合いを見ます。
いろいろ売っていきたいな。毎年続けている「年賀小説」(年賀状に小説を書いていろんな人に送りつける個人制作)は2年後に干支を一周するので、そうなったら12年分の年賀小説で月めくりのカレンダーを作って売ろうかな、とか。ステッカーとかメモパッドとかオリジナルBICライターとか作っちゃおっかな、なんてことも考えています。いまのところ全部皮算用ですが、そういう夢想はしています。
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大垣書店のポッドキャスト『新刊さんいらっしゃい』(byうすもの談話室)に出演しました。
大垣書店のポッドキャスト『新刊さんいらっしゃい』(byうすもの談話室)に出演しました。
見出しの繰り返しになってしまいますが、大垣書店(正確には、大垣書店による批評誌『羅』の刊行にあわせて開設された「うすもの談話室」というコミュニティ)によるポッドキャスト「新刊さんいらっしゃい」に、『ホームページ』版元(本屋lighthouse)の関口さんと共に出演しました。
社内に拙作の読者がいて、その方からのプッシュがあってこの回が実現したらしく、その方が聞き手役も買って出てくださいました。という、ド直球にうれし恥ずかしなやつです。それも相まってなんだか不思議な空気感になりました。
まあ、あくまで「”新刊さん”いらっしゃい」なので、わたしや関口さんはあくまで『ホームページ』の付き添い。主役は本。作品の中身というよりその周縁についての話ばかりになってしまいましたが、結果的にあんまり話さないようなことばかり喋った気がしています。ぜひぜひご笑聴(なんて言葉はあるのだろうか)ください。
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『ホームページ』刊行されました/販促企画「( )のホームページ」始まりました
『ホームページ』刊行されました/販促企画「( )のホームページ」始まりました
1月26日、と言いつつその数日前から各所に入荷していましたが、無事、ぶじ、刊行です。お疲れ様でした。ありがとうございます。よろしくお願いします。はじめまして。



詳しい書誌情報に関しては、版元である本屋lighthouseの当該ページをご覧ください。ページ末尾には取り扱い書店一覧のリンクもあります。随時更新とのこと。まめまめしくチェックしていただけると幸いです。
今回の本に関しては、装丁(表紙/栞デザイン)に関してもわたしが担当しました。そのあたりの理由や経緯を書くと長くなりそうなのですが、要所要所を端折りつつ書くと「書籍のコンセプト的に、著者自身によるある程度のセルフビルドが大事だろうと判断した」「『ホームページ』以前の拙著に関していろいろ(割愛します)ありすぎて、制作初期〜中期段階のわたしは出版業界……というより制作上でわたしと関わりうる書店や版元や編集と名の付くもろもろに対する不信感がひどく、制作や出版/対人においてイップスのような状態になっていた(被害者ヅラしたくないので言い添えると、誰が悪い悪かったとかもはやそういう話ではないと思っています。わたしもわたしで人間性がクソカス便所コオロギですから)」のに加えて「制作段階で浮かんできた装丁案に勝る案が他者から出てくる気がしなかった」から、ということになります。偉そうですね。偉そうなわたしは無事製本され納品された本を目の当たりにしてしっかりしっぺ返しを喰らいました。まったく舞い上がれないんですね、自分で装丁すると。まあうれしい、という気持ちより先に「ああここ、最後まで修正するか悩んで修正しなかった箇所だ」「なるほど、ここはこうなるのか」「もっとここをこうすればよかっただろうか」という点検/粗探しが先行して、しばらく見るのもつらくて1週間ほどデスク脇にそっと置いたままにしていました。まともに本を触る気になれたのは、文フリ京都出展を機に制作した日記ZINE『ロングストローク』が納品されたころ。その2冊を並べてようやく「…………良い、本、かも、しれない」と思えるようになりました。制作において他者が並走してくれることのありがたみが痛いほどわかりました。誰かの手が加わらないと、ダメ出しやムチが止まらない。初手で喜べない。

いまはもうそういうモードは脱して、さあ!いい本です!どうぞ!!と芯から思えています。それもこれも、他者の反応があるからですね。ありがたい限りです。そしてこの本は、他者からの応答があってはじめて、わたしのなかにようやく何事か語る言葉が生まれてくる本でもあるのだな、とも。
そんなわけで、かねてより準備を進めてきた自主販促企画「( )のホームページ」が始動しました。

『ホームページ』を読んだ様々な方に「”あなたの”ホームページ」を1ページ/1投稿作っていただく、という、お祭りめいた企画です。既存の宣伝/販促にとらわれず、ゆるやかな販促が長く続いていくようなイメージで、数年間をかけてだいたい100人ほどに参加していただこうかな、という算段でいます。
去年末からいままで、制作や告知の水面下でひたすら準備してきたものがようやくお披露目できて、いまとても安堵しています。そしてうれしい。さまざまな景色、たくさんのホームページ。面白い布陣になっていくと思います。先にも書きましたが『ホームページ』は(というより、ありとある本がいまやそうである、とも言えるのですが、この本はとりわけ)他者からの応答/反応によって育っていく、苗床のような本です。この先さまざまな方がこの本を読むなり「( )のホームページ」を見るなりして何事か思い、書き、語ることで、この本がつまりなんなのか、その全貌のようなものが(たとえばそれは蜃の吐く煙が映すまぼろしのようなものかもしれませんが、とはいえ)立ち上がってくるはず。いい企画になる。いい企画になります。やっていこう。
記念すべき一人目の管理人は、京都文フリで共に出展した詩人・山内優花さんです。
どんなホームページになったのでしょうか。
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文学フリマ京都10振り返り
文学フリマ京都10振り返り
ばたばたしていたらあっという間にだいぶ日が経ってしまいましたが、1月18日の文学フリマ京都10出展、無事終了しました。当日ブースに来てくださったみなさま、久しぶりに会えた人、はじめましての方、うれしい出会い、まさかの再会、会計のバタつき、ヤニクラ、いろいろあって記憶がとびとびになっています。話したこととかほとんど覚えていない。ともあれ、ありがとうございました。おかげさまでとてもいい時間を過ごすことができました。
それとたいへんありがたいことに、山内優花とふたりで作ったペーパー『疎通』は、あまった分を東京都文京区本郷の書店・機械書房さんと大阪府大阪市北区中崎西の書店・葉ね文庫さんに置かせていただくことになりました(2026.02.07追記:東京は世田谷区の七月堂古書部でも置かれることとなりました!これにて仲西・山内両名の「疎通」手持ち在庫は0です。めでたい!)。『疎通』に関しては「今回限りで終わるのもったいないよね」という話をふたりでしているところで、もしかしたらシリーズ化していくのかもしれません。それが京都文フリのたびになのか、なにか別のイベントにかこつけてなのか、なんでもないタイミングで作られていくのかはまだまったく検討していませんが、お楽しみに、といったところです。手前味噌ですが良いペーパーなので、気にかけてやってもらえるとハッピーです。
簡単な振り返りを述べると、Squareを導入したのはやはり正解でした。電子決済手数料を数%取られるとはいえ、現金オンリーで販売したときの機会損失を考えると導入しない手はないのでは、という手応え。でもこれは販売物の単価や値段設定にもよるんだろうな。全体的に現金決済では山内優花の詩集がよく売れ、電子決済では仲西森奈の書籍が売れた印象です。単価が2000円以上、あるいは値段設定が細かい(キリのいい値段ではない)ものを売る場合は電子決済を導入したほうがいいんでしょうね。勉強になりました。
あとこれは教訓というか反省点というかなんというか、ここまで規模が大きいと、やはり出展側は他のブースをまともに見て回れないですね。トイレ/タバコ休憩の行き帰りに近場のブースをちらほら観察する程度で精一杯でした。ゲンロンのブースとかいぬのせなか座のブースとか、他にも金沢から出展しているらしきブースがちらほらあって行きたかったんですけど、どうにも気持ちと体力の余裕がありませんでした。もっと事前に当日のイメトレをしておいたほうがいいのかもしれない。
そんなところです。最後に今回の文フリで買ったものを載せておきますね。じつは文フリには観客側で行ったこともなくて(正確には4〜5年ほど前、まだビックサイトではなかったころの東京文フリに行ったことがあるのですが、人の多さに具合が悪くなって何も買わずに数分で会場を出てしまったのでした)、これから場数を踏んでもっとしっかりいろいろ見て回れるようになれたらいいなと思ったりもしました。抽選で受かったら、5月の文学フリマ東京に出ます。その際はまたよろしくお願いします。売るぞ!!!

買ったもの:
にゆ『形と詩のプレビュー』『カミナリに落ちて』
あかしゆか『My Move to Okayama:A diary』『the days of aru』
若尾まこと・古本実加『catchball』 -
文学フリマ京都10出展ブース位置が確定しました/当日の販売物や決済方法について

文学フリマ京都10出展ブース位置が確定しました/当日の販売物や決済方法について
来年(2026年)1月18日にみやこめっせで開催される文学フリマ京都10に、詩人・山内優花のブースにお邪魔する形で出展します。
ブース位置は「こ – 34」、みやこめっせ3Fの第三展示場というところです。
当日、山内優花は昨年上梓して早々H氏賞の最終候補に選出されていた第一詩集『きせつきせつ』と今年上梓した第二詩集『約束にしない』を、仲西森奈は新刊『ホームページ』とメールマガジン「My friend is not dead.」で配信し続けてきた日記の1年分をまとめたZINE『ロングストローク』、それから連作掌編小説シリーズ書籍版の第2巻『名付けたものどもを追う道筋を歩きながら、』をそれぞれ販売します。
『きせつきせつ』は残りわずかなデッドストックを持ってくるとのことで、お求めの方は早め早めに来るのが吉かと思われます。『名付けたものどもを〜』に関してもそんなに多くは持っていかないつもり(5〜10冊くらいだろうか)なので、同じく売り切れ御免といったところ。
『ホームページ』『ロングストローク』に関してはこの日が初売りとなります。『ロングストローク』『名付けたものどもを〜』は後日「仲西森奈のオンラインストア」にて販売しますので、行けないよ、という方はそちらをお待ちいただけると。本オンラインストアでの『ホームページ』の取り扱いについては検討中です(いまのところ取り扱う予定ではありますが、できることなら書店で買ってほしいな〜という気持ちがあるため、すこし日を置くつもりです)。
その場で拙著をお買い上げいただいた方へのサインも受け付けますし、すでに拙著をなにかしら買っている方へのサインもなんなりと受け付けます。
しかし『ホームページ』、いったい何冊用意しておけばいいのでしょうか。文フリは今回が初参加なのでまったく勝手がわかっておらず、山勘的なものもなにもありません。20冊?30冊?それとも強気に50冊くらい?もっと?……みたいな状態ではあるので、当日はなんだかわたわたしていそうです。
お会計方法に関しては、今後あると便利かもなとsquareを導入したので、各種クレジットカード・交通系IC・タッチ決済が利用できます(PayPay等のQRコード決済は今回未対応となります。ご容赦ください)。もちろん現金も大歓迎!
なんにせよ、お気軽に、気楽に、お越しください。山内優花ともどもお待ちしております。
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文学フリマ京都10(イベント公式サイト)
🗓2016年1月18日(日)
🕰12:00~17:00
🌋みやこめっせ 3F 第三展示場
🌋ブース番号:こ – 34※当日、われわれどちらかのなんらかをご購入いただいた方に、特典ペーパー「疎通」をプレゼント!
(疎通は無くなり次第配布終了となります。何卒ご容赦ください) -
ポッドキャスト「お湯屋崩れと都落ち」「正気じゃない夜に語りたい」2番組配信開始


ポッドキャスト「お湯屋崩れと都落ち」「正気じゃない夜に語りたい」2番組配信開始
仲西森奈とはページで「※配信準備中」と記載していたポッドキャスト2番組が、Spotifyをはじめとする各プラットフォームで配信開始されました。番組についての詳細および視聴・登録等は本サイトのこちらをご参照ください。
ポッドキャストはここ数年、やりたいな〜、でも話すことないな〜、ひとりでやるのもな〜、どうしようかな〜、とくねくねし続けていました。この2番組はどちらもわたし以上に、わたし以外のパーソナリティが「やろう!」と前向きに(偶然、ほぼ同時期に)声がけしてくれた結果実現した形になります。
基本的にはどちらの番組もうだうだと五月雨式に互いの語りを繋ぎ合っていくような、作業のお供的な番組になっていくのだと思います。一人語りはメールマガジン「My friend is not dead.」。二人語りは「お湯屋崩れと都落ち」。三人語りは「正気じゃない夜に語りたい」。といった具合で、なんだか塩梅良い感じがしますね。それぞれの場所で、なにとぞご愛聴いただけますと幸いです(高評価や番組のフォロー、そしておたよりも、なにとぞなにとぞ、といったところです)。
「正気じゃない夜に語りたい」は元旦から3日間、連日更新する予定なので、寝正月やおせち消費のお供にもしよければどうぞ。 -
「コンタクト」ページに個人情報の取り扱いについての記述を追加しました。
「コンタクト」ページに個人情報の取り扱いについての記述を追加しました。
プライバシーポリシーページはすでに用意しているのですが、念のためコンタクトページにも必要かなと思い、別途追記しました。
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「メディア掲載情報」が整備されました。
「メディア掲載情報」が整備されました。
当サイト公開時には工事中だった、プロフィールページである「仲西森奈とは」内のメディア掲載情報欄を整備しました。
思い出せる限り/調べられる限りの、各種媒体への寄稿、掲載情報。骨董品への名付けをはじめとする変則的な作品参加等々を一挙にまとめています。各情報へのリンクも可能な限り整備。なんだかんだいろいろやってきたんだな、と、年末らしく来し方を振り返ることになった良い作業でした。これからもいろいろやっていきます。 -
『ホームページ』刊行記念WEBサイン会 @大垣書店(堀川新文化ビルヂング店)1月15日まで開催中

『ホームページ』刊行記念WEBサイン会 @大垣書店(堀川新文化ビルヂング店)1月15日まで開催中
大変ありがたいことに、京都の新刊書店・大垣書店(堀川新文化ビルヂング店)さんにて、新刊『ホームページ』のWEBサイン会が催されています。
サイン本自体は、各書店で購入できるように今後準備していく予定なのですが、この企画に関しては購入者の宛名も一緒にサインします(リモートで行われるサイン会、といった風情)。
『ホームページ』は「宛名」あるいは「宛て所」がひとつの鍵になっているようなところがあります。サインも含めてひとつの本として溶け合ってくれるのではないかな、と、そんなことを考えてもいます。
お申し込みはこちらから。
大垣書店は京都に住んでいたころ数えきれないほどお世話になってきた、なにかと思い出深い書店です。ポイントカードもブックカバーもいまだに大事に持っています(大垣書店のブックカバーはアイテムとしてかなり良いです。かっこいい)。そんな書店で、このような企画が催されるのは率直に言ってとても嬉しい。奮って御注文ください。
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「仲西森奈のホームページ」を立ち上げました。
「仲西森奈のホームページ」を立ち上げました。
来年(2026年)1月に刊行される拙著『ホームページ』の販促として、そしてわたし(仲西森奈)の今後の活動拠点として、「仲西森奈のホームページ」(本サイト)を立ち上げました。
先週か先々週あたりにドメインを取得し、せっせとサイトの構成を考えつつ手を動かし、なんとか個人サイトとしての体裁が整ってきたので、まだまったく整備できていないページもありますがここらで一旦、「立ち上げました」という宣言をしてみます。
今後、仲西森奈としての制作や活動もろもろのお知らせは、このページに投稿/告知していこうかと思います。各種SNSも続けていきますし、そちらでも告知等はしていく予定ですが、とりあえず情報がまとまっているのはこの「仲西森奈のホームページ」、という状態がいいかなと。
連作掌編小説の更新/発表は本サイト上で続けていこうと思っています。『ホームページ』の販促企画も本サイト上で展開していく予定なので、その際は何卒ご笑覧ください。おたのしみに。
