シークエンス5

  • 0095 色彩

    色彩

    「あけましておめでとう」「あけましておめでとう」と、僕たちは口々に言った。
    「今年もよろしく、メイジュー」ぽビュー5ファイブが手を差し伸べてくる。
    「ありがとう。今年も、うん、よろしく」言いながら僕はその手を握って、ぽビュー5と見つめ合う。手が熱い。僕の熱なのか、ぽビュー5の熱なのか。
    「それで」とカンパナ。「これからどうする」
    「これが最後のお正月にならなきゃいいけどな」間髪入れずに田中〜愛〜田中が言ってカンパナに睨まれている。「やめとけマジで。喧嘩も、つまんねーこと言うのも、どっちもやめとけ」歌詞宮10葵かしみやてんあおいが最後の煙草を咥えながら言っていて、「あんたは煙草をやめなさい」とくくぅくがコモン・マザーみたいな口調で言っている。「それに、火は目立つ」
    「×××。××××××。×。」
     背中からモロー・スペースのちいさな声がする。僕はおんぶ紐を背負い直して、モロー・スペースのおしりをぽんぽんとたたく。「もうすこし。ここまできたよ。もうすこし」なにがもうすこしなんだろうか。よくわからないまま、自分自身を慰めるように繰り返し言葉にする。
    「ひとまず今日はここで眠ることとしよう」というぽビュー5の提案に皆が同意し、カンパナによって見張り順と時間配分が決められた。時刻を特定できる装置(アナログ式の腕時計)を持っているのはくくぅくだけだったから、くくぅくは腕から装置を外して、最初の見張り番である田中〜愛〜田中に渡した。田中〜愛〜田中は暗闇のなか、夜行眼鏡でじっと紙の地図を見ている。「地図にかまけて見張りを怠らないこと」とくくぅく。地図から顔を上げないまま黙ってサムズアップする田中〜愛〜田中。僕はその光景をぽビュー5のすぐとなりで座って見ていて、ぽビュー5は、僕の服の裾を掴んだまますでに眠っている。

     †

     いまから50年ほど前、新型のウィルスが世界中に広まり、パンデミックが起こった。飛沫や接触による強烈な感染力を有し、熱風邪に似た症状を引き起こすが、致死率はとても低い。人々を震撼させたのは、感染者の肌の色の変化、という後遺症だった。熱風邪の症状が収まると、一昼夜レベルの速度で全身の肌が変色してしまう。ある人は黒く、ある人は白く、ある人は黄色。緑、橙、紫、グレー、青。木目調になった、なんて人もいたらしい。黒人が白人に、白人が黒人に、黄色人種が黒人に、白人が黄色人種に、黒人が緑色人種に、……。人間のある種プリミティブな差別感情に対して直截に訴えかけてくるその厄介な後遺症によって、あらゆる人々があらゆる人々に多層的な差別と暴力を振りかざし、国が分裂し、国と国が諍い、紙幣が紙になり、紙が人をさらに壊し、気候変動と世界規模の飢饉で断末魔だらけになった世界で、ワクチンの開発と同時に、肌の色を元に戻すための薬品開発が推し進められ、その途上で、新たな兵器が誕生した。「色彩定着型ゲノム式小型爆弾プリムラ」である。

     †

     僕たちはみんな、プリムラに被爆した人間の子宮から産み落とされ、施設の中でコモン・マザーに育てられた。だから僕たちは、プリムラによってめちゃくちゃにされたDNAの塩基配列情報のおかげで、肌が無爆色﹅﹅﹅ではない。国なのか、企業なのか、特定の団体なのか、それともゲリラ的に組まれたチームなのか、まったくの個人なのか、どういう人間が、いつ、どういう方法でプリムラを発射するのか、もはやまったくわからない時代になった。なにせネットで誰でも購入できる爆弾なのだ。自作クラフトプリムラの作り方を発信しているアクティビストだっている。僕たちが暮らしていた施設の監視区域にプリムラが落とされて、それぞれの肌がマーブル状の虹色や黒に限りなく近い深緑、くすんだサーモンピンクに変化していくのを見てパニックで暴れ狂う監視員たち、それを監視カメラ越しに見て恐慌を来している管理塔からの支離滅裂なアナウンスを後景にして、僕たちは「情報共有型体液キスマーク」の点滴を腕から引っこ抜いて、施設から抜け出した。

     †

     コモン・マザーが命名権を行使する前に施設を抜け出したから、僕たちには名前がなかった。僕たちはあくまで「僕たち」だったし、名前なんてなくてもお互いを識別し、呼ぶことはできた(キスマークのおかげでもある)。でも僕たちはもう、おそらく施設には戻らない。あるいは、戻れない。だから僕たちは、ひとりひとり、自分で自分に名前をつけた。人験じんけん(人権実験)として発話機能をいじくられているモロー・スペースだけは、モローに代わってみんなでいくつも案出しをして、モローが神妙にうなずくまで何日も名前を考えた。モロー、はくくぅくの、スペース、は10葵のアイデア。どこかで、どこかに、名前を書くようなことがあったら、モローとスペースを「・」で分けようよ、と言ったのは僕だ。モローは僕の背中で何度もうなずいて、その揺れで転びそうになった。あれは、楽しかったな。

     †

     信じられないかもしれないけれど、僕たちは東京市国から関東連邦へ北上し、関西甲信越連合共和国を跨いでわずか3日で旧京都自治領まで辿り着いた。この島の国境管理はそもそもが杜撰だったし、島内各国の人口減少と高齢化、さらに各地で巻き起こっているプリムラ被害の混乱で、人々の多くは国の用意するさまざまなインフラに対して良くも悪くも依存しなくなっていた。コモン・マザーとの体液接続を切って施設から抜け出してきた僕たちはいろんな意味でわかりやすく人目につく身分だったけど、隠れる場所や移動手段には困らなかったし、勝手に同胞だと思ってくれて、あれこれ世話を焼いてくれる人も各所にいた。東京市国における緑地再建法と畑地支援法によって様々な高層建築が解体され、あるいは解体予定建物にされ、施設の追っ手(いたら、の話だが)や自警団の目が行き届かなくなっていたことも僕たちに味方していた。僕たちは、貿易トラックの荷台に隠れて、緑色人種2世の運転手と一緒に、国を地域を、山を畑を駆け抜けて、通り越して、ここまで来た。

     †

    「メイジュー。メイジュー」
     カンパナに揺り起こされて、僕は僕の肩に頭をのせて眠りこけているぽビュー5をそっと横に寝かせて、夜行眼鏡と地図、それから腕時計を受け取る。
    「時間だ」
    「うん」
    「いいな」
    「なにが?」
    「順番。お前と逆がよかった。お前の見張り中に、きっと日の出だろう」
    「ああ、うん。そうだね」
    「代わりに、目に焼き付けてほしい。俺は眠るけど、お前の目は、俺たちの目だから」
    「うん。そうだね」
    「おやすみ」
    「おやすみ」
     カンパナはくくぅくと田中〜愛〜田中の間にむりやり挟まるようにして横になって、すぐに寝息を立て始めた。田中〜愛〜田中が苦しそうに呻いている。僕はみんながそれぞれどんな夢を見ているのか、なんとなく、わかるような気がしている。

     †

     はじめから、ここへ来るつもりではなかった。あてなどなかったし、ただ漠然と、このちいさな島の、遠くへ遠くへ進んでいけたらと僕たちは考えていた。
    「わたしの祖母が、スペースコーヒーっていうお店を旧京都のどこかで最近までやっていて」
     関東連邦の国境を越えてしばらく走ったあと、旧国道の脇に車を停めて休憩しているとき、モローの名前を聞いたトラックの運転手が教えてくれた。
    「なつかしいな。空おばあちゃん」

     †

     それで僕たちは、かつてスペースコーヒーのあった場所を当座の目的地とした。どのみち僕たちは、あまり長くは生きられないのだ。当座当座で動いていくくらいがちょうどいい。

     †

     空の色がぼやけてきた。こんな肌の色をした被爆者を、東京市国で見かけたな。夜行眼鏡もそろそろいらないだろう。僕は肉眼で地図を眺めて、この場所が岩倉川と高野川の合流地点であるということ、僕たちが隠れているこの場所が、千石橋という橋の下であることを改めて確認する。鳥の声、川の音、葉っぱの声、橋の音。カンパナは目に焼き付けろって言ったけど、こんな窪みみたいな場所で日の出を見るのは困難だ。一気に空が明るくなって、僕は、僕たちの目でその薄青色を見ている。かつて、と僕たちは思う。かつて僕たちは、知らなかった。「なにを?」とぽビュー5。「死にたくない」と僕。