名付けたものどもを追う道筋を歩きながら、

  • 0054 沸騰

    沸騰

     どうして自分がそんなことを知っているのか、私にはさっぱり分からない。ギ・ド・モーパッサンはボートを漕ぐのが趣味だったことも、なぜ私が知っているのかまったく分からない。

    デイヴィッド・マークソン『ウィトゲンシュタインの愛人』p54(木原善彦・訳 国書刊行会)

     フランスの小説家、ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔が嫌いなあまり、しばしば塔の中のレストランで食事をしたらしい。そこにいれば、エッフェル塔が視界に入らないから。
     ドッペる、という言葉がある。これは昭和戦前期の学生の間で使われたスラングで、落第する、ダブる、という意味で用いられていた。言わずもがな、ドイツ語の”doppelt”(2倍の)からきている。ドッペルゲンガー。”Doppelgänger”。自己像幻視。第2の自我。
     20歳ごろの記憶で、特に何度も、自発的に、意図的に思い出すものがふたつある。ひとつは人づてに聞いた話で、もうひとつは実際に聞いた、その場で見た出来事だ。
     わたしの通っていた大学には映画学科というものがあり、そこには当然、映画を撮りたい人、映画を撮りたい人のそばにいたい人、映画に映りたい人、映画がすきな人が集まる。映画学科1回生(わたしの通っていた大学では、学年を、1年、2年、ではなく、1回、2回、と数える)最初の授業。教授は自己紹介がてら、教室にいる学生ひとりひとりに、どういった映画を好んで観るか、尋ねた。ある学生はいくつかの洋画のタイトルを挙げ、それらの映画がどれだけ素晴らしいのかを語った。教授は言った。きみは洋画が好きなんだね。学生は、はい、好きです、と答える代わりに、世に出回っている邦画がどれだけ陳腐で、どれだけ退屈で、どれだけ己の興味の範疇外であるかを語った。ひとしきり話を聞いていた教授は、こう言った。でも、きみがこれから作るのは、邦画だよ。
     わたしは1回生の半年間だけ、他大学の映画サークルに顔を出していた。その新歓コンパで、大広間のような宴会場で、くたくたに酔った、何回生かもわからない(そもそも学生なのかもわからない)先輩が、周りで飲んでいる人に向かってこう言っていた。引っ越して、まず最初にやるべきことは、お湯を沸かすことだ。ケトルなんて使っちゃいけない。コンロを使って、ヤカンに水を入れて、台所に立って、ただお湯を沸かすんだ。それをやってはじめて、そこは自分の住む場所になる。

    仮説1:わたしが、実家や、実家で暮らす血縁関係者に対していつまでも馴染み深い感情を抱けない理由のいくつかと、上記の記憶によって想起するいくつかの感情は、響き合っているのではないか。

    仮説2:もしわたしが、わたし自身を心底憎み、恨んでいるのだとしたら、そしてその状態をすこしでも健全な方向へと修正していきたいのであれば、わたしは、徹底的に内に籠もり、己の中に身を委ねる他ないのではないか。モーパッサンが、エッフェル塔の中で食事をしていたように。

    勘案1:上記の記憶に登場する映画学科1回生は、ほんとうに邦画を撮る他ないのだろうか。日本人が洋画を撮ることも、外国人が邦画を撮ることも、ありうることなのではないか。もしくは、洋画が邦画になることも、邦画が洋画になることも、ありうるのではないか。

    勘案2:これからお湯を沸かそうと思う。珈琲が飲みたい。