名付けたものどもを追う道筋を歩きながら、

  • 0053 未来

    未来

     ゼーンズフト(Sehnsucht)というドイツ語がある。英語には適訳がない。しいて言えば「何かへの憧れ」というような意味で、背後にロマン主義的・神秘主義的な広がりがある。C・S・ルイスは、これを人の心における「やみがたい切望」と定義し、やみがたいのは「対象が何であるかわからないから」とした。

    ジュリアン・バーンズ『人生の段階』p139(土屋政雄・訳 新潮社)


     ドイツ語でゼーンズフトという言葉がある。これは、「懐かしさ」とも、「憧れ」とも訳せるらしい。綴りは”Sehnsucht”。”Sehn”は「見る」、”sucht”は「求める」にそれぞれ訳すことができる。見る、求める。見て求める。まなざしの先にあるものをどう求めるかで、立ち現れる感情が「懐かしさ」に、ときに「憧れ」になる。過去と未来。懐かしい過去。憧れの未来。レトロフューチャーのように、時制をてれこにしないこと。懐かしい未来。憧れの過去。そうならないために、まなざしはある。
     自転車屋でロードバイクのブレーキシューを交換した。チェーンリングの歯が磨り減ってアルプスになっている。あるぷす。そうアルプス。わたしと自転車屋が交互に山の名を口にする。通常チェーンリングの歯は、こう、富士山、みたいになっていて。ふじさん。ええ富士山。でもいまはほら、アルプス。あるぷす。山の名を復唱するわたしが、山として自転車を駆動させる、その歯を見る。お金を払って自転車に乗って、ペダルを漕ぐ。歯滑りするかもしれませんね。わかりました、また来ます、ありがとうございました。アルプスを覆う雲のように、油をさされてぬらぬら光るチェーンが、チェーンリングの山の上を回って、進んで、噛み合って、動いて、そのさらに上の、サドルに乗ったわたしの身体の、ハンドルより高く、ただ前を見据える両眼。