そのときどきで思い思いにアンカーを打つ。

  • 0008 オアシス

    オアシス

     登山やキャンプでテントを地面に固定するための杭をペグと呼び、それを打ち付けるための槌をペグハンマーと呼ぶ。日曜大工などに使われる一般的なトンカチに対し、ただひたすらに、ペグを地面に打ち付けることのみに特化したその愚直な代物は、ヘッド後部に用意されたペグ抜き用のフックとホール以外はなんの変哲もないただの鉄槌のように見えるが、ひとたび握りしめ、地面に突き立てたペグに向かってヘッドを振り下ろしたとき、はじめて、使用者に技アリの一打を見せつけてくれる。どんなに踏み固められた地面にも、ペグは吸い込まれるように埋まっていき、ヘッドは使用者の力を極限まで増幅させて、地球の引力とともにペグの頂点に激突する。グリップは吸い付くように手に馴染んで簡単には離れず、持ち手に感じるたしかな重さすら心地良い。
     新潟県は三条市に工場も兼ねた本社を構えるアウトドアメーカー/スノーピーク社が製造する「ペグハンマー PRO.C」は、ヘッドの先端が銅になっていて、打撃時の衝撃を吸収してくれる。銅は柔らかい金属だから、使い続けてしばらくするとぼろぼろになってしまうのだけど、別売りの交換用ヘッドに付け替えれば、また新品同様の状態でペグを打ち付けることができる。数あるペグハンマーの中でも、どちらかというと、お高い部類だ。
     私がPRO.Cを買ったのは、今から一〇年前。そのころ私は高校一年生だった。
     海派でも山派でもなく家派だったし(今もわりとそう)、キャンプに取り立てて興味があるわけでもなかった。毎月三〇〇〇円だったお小遣いを半年ほど貯め続け、ペグハンマーだけならまだしも、「テント」「コンロ」「折りたたみ テーブル」とAmazonの検索欄に打ち込み、いくつかのキャンプ用品をカートに入れ、すこしの逡巡もなく購入ボタンをクリックしたあのときの自分がいったいどういうテンションで、どういう衝動と欲求でそのすべてを実行に移したのか、まったく思い出せない。しかも結局、登山にもキャンプにも行かなかったのだ。大学進学のために千葉の実家から単身京都に引っ越してそこからさらに数年が経つまで、キャンプ道具がぎっしり詰まったAmazonのダンボール箱は一度も開けられることがなかった。
     たぶん、きっと、なんでもよかったんだと思う。
     なんでもいいから、なにかが欲しかったんだと思う。
     そして今だ。PRO.Cをハンドルに沿わせるようにして、グリップごと握りしめて、イエローベスパを走らせている。イエローベスパとは、大学生のころから乗り続けている黄色いママチャリのことで、当時シェアハウスで一緒に暮らしていたアダムが名付け親だ。大学の卒業生が、もう必要ないからと学内駐輪場に置いていったものを、入学して間もないころに事務局経由で譲り受けて以来、私自身が卒業生になった今もしぶとく乗り続けている。譲り受ける際、防犯登録の更新に必要な用紙を事務局員から渡されて、そのときに見た、書かれていた、元持ち主の名前をなぜだかよく覚えている。防犯登録用紙の氏名欄には細く端正な字で谷口州治しゅうじとあった。いい名前。いまどこで、なにをやっているのだろうか。
     チェレステカラーのビアンキを、真っ赤なベスパを、御池通や川端通、高野の交差点なんかで見かけると、ああいいな、かっこいいな、乗りたいな、と思ったりもしていた。でもいいのだ。この自転車だってベスパで、でもこの自転車がイエローベスパであるということを、私と私の周りの数人だけが知っている。そのことのほうが、なんだかとてもかっこいい。そう思っていたし、思っている。
     イタリア語でスズメバチを意味する「Vespa」とは似ても似つかない。モーター式のフロントライトはぎゅんぎゅんうるさいし(この点に関しては、スズメバチの羽音と捉えられなくもない)、チェーンは錆びて伸びきっていてなんの前触れもなくけっこうな頻度で外れるし、ブレーキはあまり利かないし、ベルは壊れていて音が鳴らないし、ペダルは重いし変速ギアは無いしで散々だけど、私はこいつを愛している。どうやってペダルに力を込めれば思い通りに進んでくれるか、どういうタイミングでブレーキを握れば止まってくれるか、すべてわかっている。
     私の身体の一部になった、いくつかの時間。いくつかのもの。いくつかの名前。
     夜の京都で私の身体は風を切る。
     京都は不思議な場所だ。観光客で道も町もごった返す日中を過ぎれば、木々や風、人間以外のための穏やかな夜が待っている。眠れない夜、家を出て、高野川のあたりを散歩していると、自分が暮らしてはいけない場所にお邪魔しているような感覚になった。川辺には鹿がいて、蛍がいて、酔っ払った大学生がいて、男女が身を寄せ合って、小さな声で話している。昼は昼で、鳥たちのための時間でもある。鴨川デルタ。無防備な人間を狙う鳶が遥か高みを旋回していて、まだ一口しか食べていない肉まん、包装を解いたばかりのおにぎり、たまごサンド、そういったあれやこれやを背後からかっさらっていく。伝統行事や祭りがすべてにおいて優先され、そのたびに交通は規制され、バスは順路を変える。夏は空間が歪むように暑く、冬は寒いというより冷たい。そして山だ。山、山、山、山。海にも山にも現実感がない、千葉県の中でも東京近郊地域である西船橋で育った私にとって、東西南北、どこを向いても遠景に山がある盆地という地形はいつだって新鮮で、送り火を灯すための、大、妙、法、大、船、鳥居の型の火床が山間から見えると、しばらく目が離せなくなってしまう。今だって、街明かりと夜空の間で黒々と聳える山々を意識しながら、イエローベスパを走らせている。
     川端通。高野川。
     水の音以外なにも聴こえてこない。
     歩く人も走る車もいない道路を横切り、白川疏水通に入る。幾重にも枝分かれした疎水の先の先に位置する道を走る。
     京都の水道は琵琶湖の水で成り立っている。疎水、という言葉。住む場所が変わると水道水の味も変わる。スーパーで気軽に買える鱧天。ゆず豆腐という存在。煙草屋の多さ。大垣書店のブックカバーの心強さ。濃い珈琲。濃いラーメン。誰が置いたかわからないチューハイの缶。そこに詰められた吸殻。私はこれからも生きていける。ここでの時間がなければ知り得なかったことのいくつか。場所は人にあらゆることを教えてくれる。気づかせてくれる。この世界には、私の知らないことが、たくさんある。それは言葉にするまでもなく、あたりまえの事実だけど、それでも私は言葉にする。実感しようとする。なぜならあたりまえのことは、あたりまえであるがゆえに、気づきにくいものだから。
     きっと私はこれからも、ここではないどこかであっても、新しいなにかに出会い続けるはずだ。
     白川疏水通を川端通から東大路通に抜けるように進むその中間地点あたりの十字路の一角に、ここらへんでは比較的大きい六階建てのマンションが立っている。マンションの一階部分は、かつて酒屋かなにかだったのだろう、「ヤマブシ」というネオンサインがタイル張りの板壁に掲げられていて、閉まりっぱなしのシャッターを覆い隠すように、それぞれメーカーの違う自販機が六台も立ち並び、その手前に、ベンチ代わりの車よけが等間隔に並んでいる。かつては車よけの間々に灰皿が置かれていたのだけど、いつの間にか撤去されていた。最後に灰皿を見たのは、二年前の夏だろうか。
     私たちは、この場所をオアシスと呼んでいた。
    「オアシスだね」
    「ふふ、そうだね」
     オアシスと名付けたのは私ではなくヨシノで、そう呼んでいるのも私とヨシノの二人だけで、この場所に来ると、いつ交わしたかもおぼろげなありふれた会話のいくつかを思い出す。
     オアシスの車よけに沿ってイエローベスパを停めて、PRO.Cを強く握りなおす。
     十字路の北側。疎水をまたぐ短い橋を渡ったところに、砂利の隙間から雑草が伸び放題になっている駐車場のようなただの空き地のような小さな私有地があって、その私有地の面積ぴったりに収まるかたちで、古いトヨタのハイエースが停まっている。停まっているというか、乗り捨てられているのではないか、と私たちは推察していて、白のカラーリングが積年の水垢からか薄灰にくすみ、フロントバンパーやドアのあちこちは凹み、様々な形状の引っかき傷があり、ナンバープレートは外されている、文字通り満身創痍のハイエースを眺めながら、かつての私たちはこのオアシスでBOSSのカフェオレをすすり、煙草を吸っていた。
    「なにがありえると思う?」
    「あの土地とは関係ない第三者が、勝手にあそこに乗り捨てたんじゃないかな」
    「ヤクザだね」
    「ヤクザだよ」
     ヤクザなハイエースに、私は近づいていく。足取りの軽さとPRO.Cの重さが心の均衡を保っているような気がしてくるけれど、きっと気のせいだ。
    「あれをさ」
    「うん?」
    「あのハイエースがシェアされていたら」
    「シェア」
     私の息は荒い。
     京都府京都市中京区の「三条」と同じ、新潟県の「三条」市で作られたこのペグハンマーに、なにか必然的なものを感じながら、私はフロントガラスの前で立ち止まる。
    「あ、あれ」
    「なに?」
    「ドアポケットのところ」
    「……日記だ」
    「Diary」
    「なんの日記だろう」
    「だれの日記だろうね」
     いわゆる奇跡も運命も、なんだかいまいちピンとこないし、とくに信じているわけでもないけれど、きっとこういうことなんだろうな。と、今の私は思っている。一見なんの脈絡もないなにかとなにかが不意に繋がる瞬間。意味なんてなくても、繋がったと思ってしまうようなできごと。偶然。偶発。その中に必然を見つけようとしてしまう心の動き。
    「ひとつの鍵を共有していて」
    「秘密基地感はあるよね」
    「たしかに」
    「いろんな人がさ、この中でヤッてたりしてね」
    「シェアだ」
    「カーセックスのためのカーシェア。仲間内で」
    「金のないヤクザが」
    「そう。金のないヤクザが」
    「じゃあ、あのDiaryは?」
    「台帳。台帳?」
    「帳簿?帳簿ってなんだっけ、そもそも」
    「全部載ってるよ。ここでのカーセックス全部」
    「すげえアホやん」
    「アホだよ。金のないヤクザだから」
    「殺されるよ」
     コールマン社のガスコンロ、四人用のテント。キャプテンスタッグ社のコンパクトテーブル。スノーピーク社のペグ、ペグハンマー。なにかが欲しくて手に入れたものたち。
    「私は死なないよ」
     ヨシノ。
     頭の中で一度だけ大切な人の名前を呼んで、私はハイエースのフロントガラスに、PRO.Cを力の限り振り下ろす。
     どこかで犬が鳴いた。