0082 おめでとう

おめでとう

 まず、米粒が浮く。
 その次に、キャビネット上でテレビが横滑りして畳に落ちる。みそ汁が、アジの開きが、納豆が宙に浮き、本棚からは本、タンスからは秋物の洋服がパタパタと飛び出してきた。今年もまた、はじまった。私はふよふよ浮いている米粒を箸でつまんで、一粒一粒口に入れた。米粒は舌に触れると砂糖に変わり、唾液と混じって飲み込むころにはケチャップになっている。
 姉は座布団の上にあぐらをかいてキャッキャ笑っている。バンザイをするように姉がゆっくり両手をあげると、その動作に合わせてちゃぶ台が浮き上がり、くるくる回りだす。その遠心力でちゃぶ台の上のリモコン類は畳に落ちるが、そのころにはすべてのリモコンがチョロQになっている。
「おかあさーん。はやく、ロウソク」
 台所に立つ母の背に向かって言う。言っているそばから私の足も畳から離れて、浮き上がってきた。醤油差しの注ぎ口からとぽとぽ醤油が出てきて、空中で数字になる。「23:58」。そろそろだ。はやくしないと。
「ごめんごめんおまたせ。おまたせ」
 母がやってきて、いちご大福にロウソクを突き立てる。突き立てたと同時にロウソクに火がつき、姉が浮き上がり、母が浮き上がり、ちゃぶ台の回転に合わせて茶の間に存在するすべての物体が空中で旋回し始めた。醤油の数字が「23:59」になる。オーケー。あとは、待つだけだ。
 私は茶の間をぐるぐる旋回しながら、いつまで経っても赤ん坊のままの姉を見つめる。
 姉と私は、母の言葉を信じるならば、卵子だけがひとりでに細胞分裂を繰り返して生まれた、双子の姉妹であるらしい。だからうちには父親がいないのか、と幼い私は納得したけれど、もしかしたら、ただの与太話なのかもしれない、とも最近は思っている。
 醤油の数字が「00:00」になる。ちゃぶ台がスピーカーのように振動して、それが音になる。音楽になる。バースデーソングだ。「ハッピバースデートゥーユー♪」。ちゃぶ台から鳴り響く歌声はなぜだか私の声に似ていて、毎年むずむずする。部屋の電気が消え、姉は近くで浮いていたいちご大福を手にとって、息を大きく吸い込んだ。
「ハッピーバースデー!」
 私と母がせーので言う。
 姉の息でロウソクの火が消え、部屋は暗闇に包まれた。さっきまで浮いていたモノたちが、一斉に重力を取り戻し、畳に落ちる。
 そろそろ、梅雨明けだな。暗闇で、畳の感触を頬に感じながら、私は外の静かな雨音を聴いている。