0079 鶏白湯

鶏白湯

 私が一〇歳のとき、母方の祖父が死んだ。死因はよく覚えていない。享年八七。よく生きたと思う。
 祖父は古くから牛込に店を構える畳職人の何代目かで、ちゃきちゃきの江戸っ子だった。厳しい人だった。粗暴、と言ったほうが近いかもしれない。酒癖が悪く、よく物を壊したり人に手を上げたりしていた。私や私の母も、祖父の虫の居所が悪いときに遊びに行くと、殴られたり怒鳴られたりした。母がまだ学生だったころ、酔った祖父が水槽に焼酎を注ぎ込み、飼っていた金魚を全滅させてしまったこともあるらしい。お前らも飲め!とか言ってね。祖母は感情のよくわからない声でそう言って笑う。天気予報が外れると、気象庁に電話をかけて怒鳴り散らしたり。贔屓の力士がしょっぱい取組すると障子戸を蹴り破ったりね。私はそんな祖父のことを恐れていたが、不思議と嫌いではなかった。祖父が私のそんな気持ちを感じ取っていたのかどうか、いまとなってはたしかめようもないが、私と祖父はよく二人きりで出かけた。バスと電車を乗り継ぎ、当時まだ秋葉原にあった鉄道博物館に行ったり。神楽坂の蕎麦屋でお互い天丼を頼んで、祖父の海老天をねだったり。にらまれたり。
 そんな祖父が死に、棺に入れられ、お経を読まれ、焼かれ、骨になり壺に入り墓に入ってしばらく経ったある日、私の家族は祖母を食事に誘った。「いままでおつかれさまでした」という旨の食事会だった。東新宿の外れにある、いかにも高級そうな、(おそらく)割烹料理のお店に行き、個室に案内され、湯葉で巻かれたちんまりしたものや、松茸がふんだんに使われたなんやかんやを、かつて祖父が起こした数々の暴虐をにこやかに話す祖母と両親を横目に、黙々と食べていた。
 コース料理も終わりに近づいてきたころ、着物姿の店員によってガスコンロと土鍋が設置され、そのまま店員のうやうやしい手つきによってつまみが回され、火がついた。土鍋に満ちる液体は乳白色で、微かに脂が浮いててらてらと光っていた。「鶏かな」と母が言うと、個室の引き戸に手をかけて退室しようとしていた店員がゆっくり振り返り、ほほえみながらうなずいた。
 ほどなくして鍋が温まり、私達は大きな湯呑みのような容器にスープを淹れて飲んだ。濃厚だが、いくら飲んでも飽きない。不思議な味だった。私は夢中になってスープを飲んだ。
 スープを飲みながら、私はなんとなく祖父のこと、祖父が死んでからのことを思い出していた。深夜、母に起こされてタクシーで病院に行ったこと。祖父の死亡時刻と私の出生時刻がぴったり同じだったこと。拾骨の、あの部屋の空気。喉仏。祖父の骨。
 あんなに嫌っていたのに、母は葬式で泣いていた。嫌いではなかったけれど、私は泣かなかった。なぜだろう。
 それ以来、祖父のことを思い出すとき、あのスープのことも一緒に思い出すようになった。
 また会いたいと、また飲みたいが、一緒になってやってくるのだ。