0068 卵焼き

卵焼き

 送り主不明の招待状を手に高校の同窓会に出席した稲盛総一朗は、そこでふたりの旧友と再会した。
 ひとりは戸崎業雅。銘々が銘々の緊張と慇懃さ、惰性と見栄、弛緩と虚勢を隠したり敢えてひけらかしたりする宴会場のなかで、業雅はただひとり、惰性だけを携えて酒席に臨んでいるような雰囲気を纏っていた。身なりがだらしないわけでも、所作が粗忽なわけでもない。グラスとグラス、箸と箸、皿と皿、その隙間を所狭しと駆け巡る雑駁な回顧と、その回顧を薄く研ぎ澄ませて新規の関係性を切り開こうと目論む実利的な気配を、業雅はものともせず、ただそこにいた。
 もうひとりは佐古田揆一朗。顔も名前もおぼろげな同級生の身に覚えのない思い出話に数拍遅れて相槌を打とうとしたり、戸惑いを隠しきれずにこめかみを揉んだりする総一朗とは対照的に、揆一朗はいくつかの人の輪を周遊するように行ったり来たりし、穏やかで的確な言葉や表情をその場その場で周囲に投げた。笑いが起これば一緒になって笑い、生真面目な話題には静かに相手の目や喉仏のあたりを見つめて時折グラスを呷ったりし、それでいて、注視していないと気づかない瞬間瞬間で、凪いだ海のような顔で虚空を見つめているのを、総一朗は見逃さなかった。
「久しぶりだなあ」
「またてきとうを」
「自己紹介しよう」
 会がお開きになり、幹事による統率力のない号令で、集団が帰路と二次会に緩やかに分岐していくなか、三人はどちらでもなく、どちらでもあるような方角と歩幅で動き出し、やがて雲間から飛び出た飛行機のように三人だけが同じ路地にいた。揆一朗はからりと笑い、総一朗は路地の先にある赤提灯を指差し、業雅はそこに向かって歩を進めた。そうして入ったちいさな酒場の奥まった座敷に座って、三人は一軒目の一杯目であるかのような口ぶりで生ビールと卵焼きを頼んだ。「久しぶりだなあ」と業雅。「またてきとうを」と揆一朗。「自己紹介しよう」と総一朗。三人はそれぞれ自己紹介をした。いままでのこと。そしていまのこと。高校生当時、同じクラスにいたというだけでまるで接点のない三人だった。揆一朗はバレー部の活動に随分とうちこんでいて、クラスにいても同じバレー部の仲間内でつるむことがほとんどだったし、業雅と総一朗は帰宅部だったが、業雅は他校の男子とバンドを組んでライブハウスに出入りしたり、そこで出会った大人たちとだらだら遊んだりしていることが多かった。総一朗は思い出せない。高校に通っていたころ、帰宅部だったころ。学校で、家で、それ以外のあらゆる場所で、自分がどう、そこにいたのかが、総一朗の記憶からはすっぽりと抜け落ちていたのだった。そういったあれこれを打ち明けた流れで、総一朗はふたりに、中学生の時分、兄と母が突然いなくなったこと、兄と母が神と名付けたウーパールーパーだけを残して、いや、自分と、父親とを残して、どこかへ行ってしまったことを淡々と話した。人に話すのも、話そうと思ったのもはじめてのことで、総一朗は、はじめて話したということよりむしろ、いままで誰にも話さなかったことに驚いていた。揆一朗も業雅も、酒場全体に流れる弛緩した空気は乱さず、それでいて真剣に、しかし次の瞬間にはどうでもいい冗談がお互いの口から繰り出されそうな親密な態度で総一朗の話を聞いた。そして揆一朗は、恋人が外国でテロに巻き込まれて帰らぬ人となったこと。業雅は、この人とならずっと一緒に、と思っていたパートナーに別れを告げられたこと。それぞれの喪失について、総一朗に打ち明けた。三人は、互いに固有の喪失の物語を語るなかで、理由や経緯は違えど、同じくらいの強固さで大切に思っているぬいぐるみを、三人それぞれが部屋に置いていることを知る。業雅は、高校二年生の冬にライブハウスで出会ったフィギュア造型師の男からプレゼントされた、サモトラケのニケ二分の一スケールのぬいぐるみ「ニケ」を。揆一朗は、恋人である統子の持ち物であった小さなクマのぬいぐるみ「攻撃」を。総一朗は、都内の実家から北海道夕張市に移り住むときに、兄の部屋から回収したバットばつ丸のぬいぐるみを。三人とも、そのぬいぐるみを自室のベッドに置いていることを、点検するように話しながら、笑うでもなく、恥ずかしがるでもなく、涙ぐむでもなく、ただ確認しあって、ジョッキから幾度もビールはなくなり、卵焼きは均等に胃袋に収まり、すべての終電は過ぎ、あらゆる酒場の暖簾はおろされて、稲盛総一朗、戸崎業雅、佐古田揆一朗、ひとつの時間を共有した三人が、固有の時間に引き剥がされ、引き戻され、ニケ、攻撃、ばつ丸、銘々のぬいぐるみを見つめて、目を瞑り、やがて三様の朝を迎える。