0063 見えない手

見えない手

 早朝、新宿へ。予約していたハイエースに乗って、甲州街道を調布方面へ走りながら、戸崎に電話をかける。そのあたりで既に、今日一日では終わらないんだろうな、とは思っていた。詰めつつ運ぶ、の繰り返しでいいっしょ。ふたりだけど荷物そんなにないし。詰めつつ運ぶことがどれだけ時間のロスになるか、戸崎の「そんなに」は果たして俺にとっての「そんなに」と合致するのか、そもそも何時に終わらせるつもりなのか、戸崎にとっての「終わる」とは、「一日」とは。言いたいことはもろもろあったが戸崎の性根はもうわかりきっていたし、このハイエースのレンタル代も朝昼晩の食事代もすべて戸崎持ちだということは確認していたから(朝から晩まではかかるだろう、ということくらいは戸崎もなんとなくわかっているのだろう)、多くは言わず、聞かず、俺は戸崎の家に向かった。向かっている。
 桜上水の駅にほど近いところに建つ低層マンションの一室が戸崎の家だった。近くのコインパーキングにハイエースを停め、エレベーターで(階段しかないタイプじゃなくてほんとうによかった)3階まで上がり、305号室のチャイムを鳴らす。
「はよ」
「はよう」
「まままま靴くらい脱ぎなって」
「脱ぐんだよいま。入るんだよその前に」
 寝癖と寝起き特有の薄目によって顔面がとっ散らかっている戸崎を引き剥がすようにして玄関扉を大きく開けて、玄関兼キッチンに入って、おざなりに靴を脱ぎながら、リビングの窓際にわずかに積まれたダンボールを見て、戸崎が思いのほか荷詰めを進めていたことを知る。
「いうてやってんじゃん」
「と思うでしょう」
「思った思った」
 リュックの中から、行きしにコンビニで買ったおにぎり(ツナマヨネーズ)やじゃがりこやベビースターラーメンやブラックサンダーをビニール袋からリビングの床に落とすように出して、一緒にひらひら落ちていったレシートを拾って戸崎に渡す。おにぎりとベビースターラーメンを交互に食べながら(ほんとどうかと思うよ、と戸崎)、段取りを決める。ひとまず荷詰めが終わっているダンボールを積んで、空いているスペースに入りそうな家具家電を積んで、一旦新居へ。荷物を降ろしたらすぐにまた戻って、ふたりで荷詰め。それが終わったら荷詰めされたダンボールを積んで再度新居へ。積んで、降ろして、戻って、積んで、降ろして、戻って、初手で積みきれなかった家具家電を積んで、降ろして、戻って、空っぽになったこの部屋をふたりで軽く掃除して、レンタカーを返して、返せなかったらコインパーキングに一晩停めることにして、おつかれさま(それでいこうそれで、と戸崎)。ブラックサンダーをふた口で食べ終えた俺は立ち上がり、ダンボールを運び始める。戸崎はリビングの真ん中に突っ立ってじゃがりこを食べている。運び終わる。電子レンジと炊飯器と一人がけソファを運ぶ。戸崎はベランダで煙草を吸っている。運び終わる。ふたりでハイエースに乗って、あらかじめ聞いておいた住所をGoogle Mapに入力して、分倍河原の新居までかっ飛ばす。戸崎は助手席で腕を組んで険しい顔で眠りこけている。新居に着く。戸崎を起こす。
「おい殺すぞ」
「んはよ」
「死ね。起きろ」
「無茶言わんとって」
 俺は電子レンジの上に炊飯器を乗せて、戸崎は一人がけソファの上に比較的軽いダンボールをひとつ乗せて、運んでいく。エレベーターで、6階(エレベーターが無かったら絶対に手伝わない階数だ)。出てすぐの角部屋(これもまたありがたい位置)。戸崎が鍵を開けて中に入ると、リビングの奥、ベランダへと続いている窓にもたれるようなかたちで、サモトラケのニケが置かれていた。
「いやびっくりするわ。何かと思った」
 高校生のころから、戸崎はこの、サモトラケのニケ2分の1スケールのぬいぐるみを抱いて眠っているらしい。俺がいつ戸崎の家に行っても、このニケは布団を丁寧に胸元までかけられた状態で横たわっていたし、戸崎が家を出ているときなんかは、戸崎の気配がニケの中に詰まっているような気がしてこっそりニケを抱きしめたことだってある。戸崎がInstagramのストーリーで部屋の写真を投稿するときは大抵ニケが一緒に写っていたから、その愛着というか執着というか、を考えると、ニケ先着も納得、といったところだった。
「昨日の夜、こいつだけ先に運んどいたの」
 身体全体をゆするようにして一人がけソファを持ち直し、靴をおざなりに脱いで戸崎は部屋に入っていく。
「お前これどうやって運んだん」
「軽いからさ、こう、抱えて、自転車でゆっくり。夜に」
「いや怖いわ。バンクシーか」
「バンクシーではないでしょうよ」
 戸崎もようやく本気で動く気になったのか(殴りたい)、一緒になって(戸崎なりに)きびきびとハイエースに積まれた荷物を運搬し、正午にはまた桜上水に。マクドナルド桜上水店で持ち帰りのナゲット15ピースとポテトLを6つとスプライトL2つ(お前が心配だよ、と戸崎)を調達して、旧居へ。ナゲットとポテトをスプライトで流し込んでから、鬼の荷詰め作業。いやほんとに鬼。繊細なつくりをした食器の量が尋常じゃない。子沢山の貴族か。俺はこの食器類に対する責任を一切取れない、と判断し、割れ物は戸崎にフル投げ。一旦ベランダで煙草を吸って気合いを入れて、本棚から本をすべて出してダンボールにばかばか入れて、本棚の棚板を外し、ビニール紐で縛り、外し、縛り、の繰り返し(やっとけこんなん)。イライラしつつ、単純な肉体労働への没頭が段々と気持ち良くなっていくようでもありつつ、上段と下段を解体して、軽く埃を拭いて本棚は一旦終わり。戸崎の了承を得て(得なくてもやるつもりだったが、一応)、押入れやリビングのあちこちに積まれたり散らばったりしている有象無象、みたいなものたちを、つかみ取りみたいな感覚で手当たり次第にダンボールへ入れていく。なんだかんだでそれで16時。戸崎に任せた割れ物梱包を結局手伝い、ハイエースに積み、分倍河原アゲイン。新居アゲイン。また会ったなニケ。それでまた桜上水へ戻って、細々した残りものをハイエースに放り投げるようにして積んでから、ふたりで掃除。風呂場は諦めた。戸崎はキッチンとトイレ、俺はリビング、ベランダや窓はふたりで。この時点で時刻は21時を回っていた。
「終わるもんだなあ」
 俺はすこしハイになってきていて、それは戸崎も同じようだった。
「終わんないかと思ったよね」
「ハイエースはもう明日にするしかないけど」
「まあ、ねえ。じゅうぶんでしょう」
 最後にふたりで、キッチンの窓も、風呂場の窓も、ベランダの窓も全開にした状態で、なにもなくなったリビングで煙草を吸った。煙草を吸いながらiPhoneのカメラで戸崎を撮って、クソ野郎の引っ越し、とテキストを打ってInstagramのストーリーに「親しい友達」限定で投稿する。その流れでTwitterを開くと大学時代の知人が選択的夫婦別姓だの同性婚だのについてやんややんや発信していて、見てしまった、と思う。投稿したストーリーに対して、友達がさっそくハートマークの絵文字を送ってくる。鬱陶しい。でも本当はそういうインスタントな反応が逐一欲しい。いやそれは本当なのか? いつだって部外者は気楽で、悲劇も不遇も他人事で、いやそりゃそうっていうかあたりまえにあたりまえのことではあるしそれは俺だってそうだ。(でも)(だが)(しかし)。そう思ってしまう。()をいくつも重ねて言葉を続けようとしてしまう。嘆かわしいとか愛おしいとか祈ってるとか言ってりゃ勝手に世界が良くなると思っている奴らの集合がいまの世界を作っている事実にもはや吐き気すら覚えない。ただただ凪いだような諦めと、己の人生への乾いた眼差しがあるだけ。だからそれは「行こうかあ」
「……んぬ。うん。行こうか」
「なんかまたSNSでも見てぐるぐる考えてたでしょう」
「うん。行こうか」
「図星になるとおんなじことしか言わなくなるの、やっぱかわいいよねえ。あなたの美徳」
「うん!行こうか!!」
「あはは行こうかあ〜!」
 些細なきっかけで漠然とした他罰的な憎悪が脳みそを濁らせていく。ハイエースを分倍河原へ運ぶ。戸崎の新居で一泊して(一緒の布団で寝る? 寝ちゃう? え〜久々〜、ねえねえ、ヨリ戻しちゃう? ねえねえねえ、と戸崎)、明日の朝イチでハイエースは返却。戸崎と会うこともしばらくはないだろう。一生ないのかもしれない。
「ねえねえねえねえねえねえねえねえ〜」
「戻さねえわ」
「あははだよね〜」
「ニケとよろしくやっといてください」
「言われなくてもねえ、毎日仲良ししてるよ」
「ニケに抱きついてオナニーすんの仲良しって言うのマジでエグいからやめたほうがいいよ」
「別れた人からの助言は聞かないことにしてるんだよね」
「別れた人からの助言くらいは聞いといたほうがいいと思うんだよね」
「ニケを抱きしめるとさ、見えない手で俺も抱きしめられているような感覚になるんだよね」
「はあ」
「こう、さあ〜、フッ、ってね。あるんだよね。それでさ、俺は俺に言うんだ」
「……なんて?」
「がんばったね、って」