0055 テロ

テロ

 これからお湯を沸かそうと思う。珈琲が飲みたい。もう暗い。時計を見たくない。携帯電話が普及して、スマートフォンが台頭して、それらを所持することが人権と限りなく等しくなったことによる弊害に、時間を知りたくないという感情が脅かされること、がある。どこかで、誰にもわかられていない感情が、今日も脅かされている、と思う。思ってからその思いの大仰さに自分を殴りたくなる。本心か、それは。独り言の口癖が「ばーか」になったのはいつからだろう。ばーか。珈琲淹れよう。ばーか。
 フランスに行ったことを後悔したこと、一度もない。きまぐれに行ってきまぐれに帰って、命拾いしたことも後悔していない。ふざけた衝動で仕事を辞めたことも、帰ってからしばらく無職でほっつき歩いていたことも、なにも、後悔はない。統子を救えたかもしれない、なんてことも、思わない。いやそれは本心かな。どうかな。
 あれからわたしは「突発」が怖くなった。車のクラクション。急ブレーキの音。打ち上げ花火の炸裂音。インターホン。アプリの通知。バイブレーション。目覚まし時計。時給以上の頑張りを見せるアルバイター達のやまびこ挨拶。街なかのキャッチ。知らない人の親切。拍手。落下音。意図しない再会。
 テロリズム、という言葉は、18世紀のフランスで生まれた言葉らしい。「極度の恐怖」という意味の言葉から派生して生まれた、その言葉の生まれ故郷でテロに巻き込まれそうになった。本場のテロ、なんて言ったらぶん殴られるだろうか。誰に? お湯はずっと前から湧いている。実家だったら既に2、3発殴られているだろう。あの眼。線画みたいに微動だにしない眼で。ミルに豆を入れて、ゆっくり挽いた。火葬場で焼かれ、残りカスになった人骨を挽いても、こんな音がするだろうか。ぶん殴られるだろうか。すでにわたしは、もう何度もわたし自身をぶん殴っている。
 珈琲を飲んでいて、珈琲は美味しい、と思うとき。
 煙草を吸っていて、煙草は美味しい、と思うとき。
 お酒を飲んでいて、お酒は美味しい、と思うとき。
 夜にひとりでいて、ひとりは苦しい、と思うとき。
 朝にだれかがいて、ひとりが恋しい、と思うとき。
 明日で今年も終わる。帰る場所のある人、帰る場所のあることになんの感慨も感動も抱かない人、帰る場所があるのに帰ろうとしない人。そういう人たちに背を向けて、ひとりで自分を殴ったり撫でたりする季節が、またやってくる。餅でも買うか。