マクドナルド
今日はなんだかとってもマクドナルドだな、って気持ちで夜、新宿武蔵野館で映画を観てからマクドナルドに行ってこれはほんとうに人ひとりが一食で摂取する量なのかってポテトやバーガーやナゲットを注文してカウンターに座って食べては食べ食べては食べ、みたいな速度で口に運んだ。マクドナルドのカウンターってこんな暴力的な、なんだか満員電車みたいな、間隔だったっけ、と思いながら気にしないようにしながら、食べていた。バーガーを両手で掴み前傾姿勢で口に運ぶとき、となりでなにか熱心に書き物をしていた男性の耳元とぼくの口元との距離はラッシュ時の電車内でのそれで、新宿の夜のマクドナルドの店内の(桜の、森の、満開の、下)ざわめきはアルタ前の雑踏と変わらないようで、カウンターで左右に座る人に密着せんばかりの距離でポテトとバーガーとナゲットを食べながらアルタ前に立って誰かを待っているような気分にもなって、不思議。不思議だった。自分がいまどこにいるのか分からなくなるような。分かってはいるけれど同時に別の自分が別の場所にもいて、その存在をたしかに知っているのに、その別の自分がどこにいるのかはわからないような。レジで注文を聞いているときの店員の眼はなにか挑むような鋭さがあって、(で?で?で?で?)となにも言われていないのになにかを訊かれ続けているような圧があった。かと思えばその両横のレジにはイントネーションがネイティブではない人がいて、その人たちは注文をこなしながらバックヤードの店員たちとときおり冗談のようなことを言って笑っていた。つめたさとあったかさがレジごとに極端で、注文をするレジによってこのマクドナルドはまったく違う表情になる、の、かもしれないなと思った。ポテトのLを2つ、ビッグマックのセットを1つ、ナゲットを1つ、挑むように頼んだ。(ここまで書いてこれは小説にしたほうがいいと思った)。落ち込んだとき、なにか自分のがんばりを労いたいとき、報われたいとき、そういうときコモドさんに会うとコモドさんは決まって「それで今日はどんなご褒美を買うの?」と訊いてくる。コモドさんが物理的に近くにいたとき。そういうときのご褒美。それはヱビスビールだったり、それはアルフォートのファミリーパックだったり、それはハーゲンダッツのクッキーアンドクリームだったり、それはアキさんに教えてもらったパン屋で買うあんドーナツだったり、それは見たことのないデザインのリキュール瓶だったり、それは無目的に撮る証明写真だったりした。これはご褒美かしらん。ポテトをバーガーをナゲットを食べて食べて食べながら、わかんないけどぜんぶいま、自分の食べたいものだこれは、そう思った途端になんだか自分がすこし強い人間であるような気がしてきた。ずっと泣いていて、同時に泣いていないと思っていた。涙が頬まで伝って落ちていく感覚だけがあって実際はそんなことない、誰にも気づかれていないと思っていた。過去あった救い、そこから導き出される最高の未来、そういう想像と時間軸の中でいま泣いているわけだから、きっとどんどん流れたほうがいい、伝ったほうがいい。コモドさんはいまフィンランドにいるらしい。フィンランドにもきっとマクドナルドはあって、同じように食べては食べ食べては食べ、することだってあるのだろう。そのときコモドさんの頭の中にある最高の未来にぼくも参加できていたら良い。歌うたいの気持ちで席を立って、ずっと鼻歌を歌ったまま電車に乗って駅から歩いて家に帰って、この文章はもう終わるけど歌は続いている。