
ゆらゆら幽霊
(You lie, you lie, you lay.)
ベンチには微かに街灯のオレンジがあたっていて、どこかからラジオの音が風に乗って聞こえる、そんな気がする。私はベンチに腰掛けた。缶コーヒーはすでにぬるくなっていて、むしろアルミのひんやり具合が心地よい。
こんばんは。おはよう。ごきげんよう。私は幽霊。あなたにしか見えていないみたい。だからまわりのみんなをびっくりさせないように、気をつけてね。あなたはおしゃべりしているつもりでも、みんなには独り言に見えてしまうから。
だからとりあえず、私が一方的に話をしておくね。え? 幽霊なんていない? いないと言われても、いまここにいるのがその証明だよ。少なくとも、あなたが私のことを憶えているうちは、私は幽霊として存在していられる。掃除機に取り憑いた幽霊がそう言ってたから、これは間違いないよ。根拠がない? う~ん、確かに根拠はないんだよね……でも根拠がないからこそ信じられるってこと、あったりしない? ないんだったら、いまからその実例を作るから、いったん私の話を聴いてみてよ。照明はつけないでいてね。
私は昔、この世界のことを信じきっていた。らしい。らしい、というのは、私の父がそう言っていたから。おまえ(とお母さん)はこの世界を信じている、それがおれは羨ましい。そんなことを、父は言った。確かにそうだと思う。私はいつも楽しかった。もちろん時には悲しかったり苦しかったりするんだけど、それはあくまでも一瞬のことで、毎日寝るときにはぜんぶ忘れて、朝起きたらリセット、世界はキラキラしていた。
世界を信じるっていうのは、つまり他者を信じるってこと。私が誰とでもなかよくできたのは、きっとそのせい。だから学校はいつも楽しかったな。みんな大好き!というわけではないけども、嫌いな人はいなかった。私は世界=他者を信じているから、つまりあなたの善意を信頼しているから、きっとあなたもその空気を感じとってくれたのかもしれない。そうか私はメタモンだったのか。目の前のあなたに合わせて、形態を変化させる。あなたはきっと私を裏切らないから、私はあなたに合わせることができる。合わせてもらえたあなたは、そこに信頼(してもよいのかもという直感)を覚えてくれていたんだね。ありがとう。
それでも私はどこか、この世界から浮遊していたのかもしれない。浮遊していたからこそ、どこにでも行けたのかもしれない。私には所属(への意思)がなかった。そしてそのことに違和感がなかった。だいたいの人類には「所属(することに安心を見出すこと)」があるということを、この頃の私はまだ知らない。
私はあなたの中で生きている。あなたの中の私は、その声を、表情を、姿を、変えていくだろう。それが私はうれしい。幽霊だって成長するんだから。あなたが(そして私が)歳月を重ねるごとに声色を顔つきを体つきを変えていったように、幽霊の私も変化する。
浮遊している(ことにはまだ気がついていない)私は、世界=他者が全幅の信頼に値するものではないということを、照明がついていない一年一組の教室で知ることになる。十五歳。四月。正座する坊主頭が暗闇に約二〇から三〇。坊主ではない頭はいくつあったのだろうか。「わからない」というのはとても怖い。私はなぜ、こんなことになっているのかわからなかった。“それ”はそこから半年ほど、定期的に繰り返された。光のほとんどない教室で、部室で、倉庫で、校庭で。
そして私は気づくことになる。あなたはきっと、私のことが怖かったのだろう。世界=他者を信頼して、サッカーボールを蹴ったり追いかけたりすることに、一心不乱に集中できる私のことが、あなたにはわからなかったから。あなたはもう、この世界=他者が信頼に値しないことを知っていた。知ってしまっていた。なぜなら一年前、あるいは二年前、あなたも“そこ”にいたから。坊主頭で、正座で、暗闇で。“それ”はいつから始まってしまったのだろう。長い時間をかけて連鎖と熟成を重ねていった恐怖=憎しみたち。それを喰らった身体は、精神は、壊れるほかない。
だから私はあなたを許した。許すほかなかった。わかってしまったら、怖くはなかったから。私もあなたも同じだね。深くて昏い傷を負った。壊れてしまった。壊されてしまった。同じ景色を、同じ感情を、あなたも私も知っている。そうか、これが所属ということか。こんな形で所属(を共有)してしまうなんて。でも、このことに気がつくのはずっとあとのこと。とにかく私はあなたを許して、そして、きっとこのとき、慣れた。浮遊しているということに。浮遊しているということに、気がついていないままで。壊れることと慣れること、それは同じことなのだろうか。
十六歳。三月。私はサッカーボールを蹴るのをやめた。あなたのせいではないよ。たぶんね。少しくらいは関係あるかもしれないけど、あなたのせいにはしたくない(プライドというものかもしれない、なんのかはわからないけど)。でも悔しさはあるよ。見返してやろうとは思っていたから。私は私の後輩に、世界=他者を信じられなくなるような景色を見せないと決めたのだ。そしてサッカー選手にもなる。それが私の復讐。でもどちらも叶わなかったから、いや、果たせなかったから、私はそれがとても悔しい。地獄の連鎖を断ち切れなかった(二年生になった私の同期は“それ”を繰り返してしまった)。ずっと歩み続けてきたサッカーの道から外れてしまった。私は路頭に迷った。それでも私はメタモンでありつづけた。浮遊していた。浮遊していることに、誇りすら覚えていたかもしれない。これもプライド?
私はいつでもあなたの期待を裏切ることができる。あなたが想像していなかった私が、あなたの前に現れる。私には意思があるから。それとも権利なのかしら? これが自由ってやつかい!? なんでもいいけど、私はあなたを驚かすことができる。その私をあなたが受け入れるかどうかは関係なく、ね? 忘れてもらっちゃ困るから、時折驚かせなくちゃいけないってことよ!!
浮遊したまま時は過ぎ、私は本屋になっていた。きっと誰もが想像し得なかった未来だ。私もびっくりしている。でも、そうなるほかなかったのだ。世界=他者に対する信頼を取り戻すために、どうやら本屋という生き方はうってつけらしい。少なくとも、私にとっては。なんで?と訊かれてもわからないけど。とにかく私はいま、楽しくやっているよ。世界はまだぜんぜんキラキラしていなくて、むしろクソみたいな現実ばかり見えるようになったけど、私はそれを後悔していない。
でも、この世界から浮遊しているということには気がついてしまった。ようやくね。たとえば「応援してます」と言われるとき(あなたも一緒にたたかってほしいのに)。たとえば「マジョリティのくせに」と言われるとき(確かに私はあなたと同じではないし、同じでありたいとも思っていないけど、私はずっとこの世界に居心地の悪さを覚えていて、そこに関しては「同じ」なんじゃないかな)。
自分が浮遊していることに気がつく前にそのことに慣れて(それとも壊れて?)しまったから、私はこの世界を許してしまえる。だけど、ずっと抵抗していたんだよ。この世界の空気に抵抗している自覚がないまま、いつのまにかその術を覚えていた、そしてそれが自然になった。私はずっと居心地が悪い。反差別の本屋として称賛されてしまうとき。あるいはその責任を負わされるとき。私はそのたび、この世界を彷徨う。
それでもあなたはいつでも私を、あなたがそうであってほしいと願う私として、呼び出すことができる。若い頃の私、年老いた私。坊主頭の私、髪を伸ばした私。楽しそうな私、怒っている私。なんでもありだよ。
たとえば私は私を男であるとは思っていないけど、じゃあ女なのかと言われるとそうでもないとしか言いようがないし、男でも女でもない存在なのかと言われてもわからないよ、だって私は私のことを私だとしか思っていないから、この「私」という一人称だって書き言葉ではしっくりくるけど話し言葉ではしっくりこないし、かといって「僕」は違うし、昔は「俺」を使うことに違和感なかったけどね、そしてこれからどうなるかもわからない、でも「僕」と言う私をあなたはきっと自然だと思うだろうから、まあそれでいいよ、それでいいんだよ、私はメタモンだから、あなたが思う“それ”でいいの、占いみたいなものだね、都合よく捉えて、そうそう名前だってなんでもいいんだ、私の名前が正しく読まれる/呼ばれることなんで滅多にないし、その経験の積み重ねも影響あるかもしれないけど、あなたが読みたい/呼びたいようによんでくれればそれでいいよ、あなたにとっての私が“そう”であることがわかれば、私は反応=順応することができるし、それが嫌だと思うこともないから、好きにすればいい、でもそうなると私が抱く恋愛感情とか性欲とか呼ばれるものっていったいどうなるんだろう、そういえば私、フィクションに触れるとき男性だと私が認識する存在に感情移入する、つまり視点人物に設定することってないな、だから漫画の棚には男性しか出てこないものがほとんどないのかも、例外はスポーツもの、だって「スポーツをする」という視点で没入するから、つまり意識して「フェミニズム」とかやってるわけじゃなくて、そうするのが自然だったからそうなったと言うのがしっくりくるんだけど、きっとこれは理解されないだろうし、理解されるべきだとも思っていない、だって私はマイノリティになりたいわけでもないし、そもそもマイノリティになるってなに? どういうこと? とにかくわからん、わからんのだ、わからんがようするに、私は私のことがまったくもってわからなくて、でもわからなくてもかまわない、大丈夫、なんでだろう、怖くない、たぶん、浮遊していることにいつのまにか慣れてしまっていたから、浮遊していたことにあとから気がついたから、この世界=他者に傷つけられることはほとんどなくなってしまったから、これってもしかしてどこかが壊れてるのかな、自分にとって自然なこととしてやり始めたことが他者に対する責任になってしまったことにも慣れてしまったから、私はこの世界=他者のなかを浮遊している、彷徨っている、抵抗している、信頼している、生きている。生きていく。
これが、幽霊の私が現時点で話せることのすべて。もちろんまだまだ増えていくよ。幽霊だって生きているんだから。変化もするし、反抗もする。あなたの知らない私はいつだってそこにある、いや、すでにあった。そのことに私自身があとから気がつくんだ。思い出したらまた話すよ。
とにかく、荒唐無稽な話を聴いてくれてありがとう。独り言にしてくれてありがとう。え? そんなことない? ふふふ、きっとあなたはそう言うと思っていたよ。「わかるよ」なんて言葉はいらないし、相槌すらもいらない、無言でここにいればいい、それがいちばんだってこと、あなたは知っているから。根拠がないのによく信じられるね? そうだよ、根拠がないんだ。でも、ないからこそ、信じられるってこともある。そういうのってどうやら所属(共感?)に関係があるらしいけど、それがなくても私は生きているし、世界=他者を、つまりあなたを、信頼しちゃってる。……自分で言っててもなんだかよくわからないけど、いまのあなたならわかるでしょう? 幽霊になるってことは、たぶんそういうことだから。これも根拠はないよ。笑うしかないね。
こんばんは。おはよう。ごきげんよう。私は幽霊。あなたにしか見えていないみたい。だからまわりのみんなをびっくりさせないように、気をつけてね。あなたはおしゃべりしているつもりでも、みんなには独り言に見えてしまうから。え? あなたも幽霊? 本当に? 根拠はない? じゃあ、あなたも幽霊だ。だって私には、いま私の前にいるあなたのことが見えているから。そして憶えていようと思うから。あなたのことを知るのは、これからでも遅くないしね。とりあえず、喫煙所にでも行っとく? 私は煙草を吸わないけど、あなたが吸うならそうしたほうがいいから。吸わないならこのままで。それとも、吸わないふたりで喫煙所にいるってのはどう? 大丈夫、きっと誰も気がつかないよ。
さあさあ今宵も始まりました、ゆらゆら幽霊の段駄羅ナ~イト! 今日も各地のキレキレ幽霊ベイビーたちから新鮮なやつ、届いてます。早速紹介してっちゃおう、いのちみじかしふふふんふ~ん♫
第1通目は、ラジオネーム「17時5分前の焦燥」さん。
👻👻👻
今年って 令和何年/霊は何年 生きるのか
この幽霊ぜったい役所勤めだな~。毎回毎回訊かれて困ってるやつだ。おれもわかんねえよ!って。
次はなんと3連作? でいいの? ラジオネーム「ファーストキッスは虚数の味」さん。なんだこれ(笑)。まあ言いたいことはわからんでもない。読みます。
よふかしの 霊とSHOWみる/レイトショーみる えっちなの
ドキドキの レイトショータイム/霊とSHOWTIME ふれている
寝ぼけつつ レイトショーみる/霊とSHOWみる 気配だけ
なんやこいつ絶対いたしとるやんけ……スクリーンと隣の好きな人、どっち見ればいいかわからんってか?
はい! 次! ラジオネーム「タンスの角に怨念」さん。確かにタンスの角には怨念たまってそうよな。指の怨念なのか、むしろ毎回ぶつかられる側のタンスの怨念なのか……。
傘を持つ 今日こそレイニー/今日こそ霊に なれるかな
次の幽霊ベイビーはこちら、ラジオネーム「ドッヂボールの覇者」さんからの1句。
整えたい そのレイアウト/その霊OUT オブ眼中
はみ出てると収めたくなるけど、オレたち幽霊ははみ出てないと気がついてもらえないわけでよ……沁みるぜ!
でもいつまでもしみしみしてちゃあ、いかんのよ。お次はラジオネーム「揚げナスの輝き」さん。しみしみじゃねえか。
壊れてる 芯出ないもの/死んでない者 殺すなよ
使えるね 芯出るんなら/死んでるんなら いらないね
オレはもう突っ込まねえぞ……代わりにリスナーのみんなが言ってくれ! 次だ次! ラジオネーム「滝口優勝」さん。なんなんこのコーナー、ツッコミすぎて息も絶え絶えよ……。
この幽霊 死相が出てる/思想が出てる いきたくない
奪うだけ 売らないならね/占いならね 信じるよ
やめようか 勝算がない/称賛がない うれしいな
生きてたときオレは本屋をやってたんだけどさ、直感でわかるよ。こいつ本屋だ。ひねくれてるタイプの。次、今宵のラスト段駄羅! またまた連作、ラジオネーム「河童は嘘をつけない」さんから2句で〆ちゃうよ~。
存在の 証明ついた/照明ついた 消えている
幽霊に 正邪は問えない/生者は問えない 見えぬから
👻👻👻
ということで、今宵のゆらゆら幽霊の段駄羅ナイト、いかがでしたかな? ちなみにゆらゆらって聞くと君はどっちを思い浮かべる? 帝国? カナブン? こういうの世代間ギャップって言うらしいけど、幽霊からしたらどっちも同時代、一瞬の間ってやつだよね~。いや~、まだまだゆらゆらし足りないけど、残念ながら時間切れ。また会う日まで、OMOIDE IN YOUR HEAD! ……ごめんやっぱ最後にひとつだけツッコミ入れさせて、「喝破!」ってこ
ベンチには微かに街灯のオレンジがあたっていて、どこかから聞こえてくるラジオがスポンサー情報を伝えている。かれは座っていたベンチから離れ、歩き始めた。あなたはそれを見ている、聴いている、憶えている。
幽霊(👻)
この世界のどこにでも。あるいはあなたの記憶/物語の中に。