0086 結婚式

結婚式

 だいたい2時間くらい前までは楽しかった。それまではいたって普通だった。普通で特別な挙式だった。俺はこの日のためにスーツを新調したし、新調したスーツを北脇と鶴見にしっかりと茶化された。北脇と鶴見のスーツもパリッと糊が効いていたし、北脇は在宅SEで、普段滅多に着ないスーツに落ち着かない様子だ。鶴見もきっとこの日のためにスーツをクリーニングに出したのだろう。俺たちは身なりの清潔さに浮かれ、はしゃぎ、同じゼミ内で付き合ってそのままゴールインした新郎新婦そっちのけで盛り上がっていた。鶴見は時折ハンカチを目にあてていた。俺たちはそれも茶化した。うぇ〜い鶴見ぃ。
 そんな茶化し茶化されはしゃぎはしゃがれが続いていたから、俺たちは会場のどよめきにしばらく気がつかなかった。最初に気がついたのは北脇だった。なんだあれ。北脇が新郎新婦の座る方向をあごで指した。それで目を向けてみると、高砂の脇に細長いテーブルがいつの間にか設置されている。卓上にはハンドミル、ドリッパー、ペーパーフィルター、サーバー、ケトルが置かれていた。たしかに、なんだろうあれは。そういうサービスじゃね。どんなサービスよ。司会進行役の女性スタッフの声がスピーカーから聞こえてくる。さあここで、お待ちかね、新郎新婦による、ウェディングコーヒーの抽出です! は? と北脇。なにそれ、と鶴見。動揺する俺たちを置き去りに、会場内は待ってましたの大喝采。新郎、勇人さまゆかりの抽出方法、ハンドドリップで、新婦、楓さまゆかりのこのコスタリカのシングルオリジン、中深煎りの豆を、さあ、勇人さま楓さま、お手を取って前へ! 勇人あいつコーヒー好きだったっけ。楓とコスタリカになんの縁があんのよ。さあ……。会場内はあたたかな空気に包まれている。だれかがすすり泣いている。ケトル沸騰! 司会進行役の号令に従い、勇人と楓は手に手を取ってケトルのスイッチを押した。固唾を呑んでケトルの沸騰を待つ来賓の面々。コーヒー豆を開封する勇人、ハンドミルに豆を入れる楓、ハンドミルを回す勇人、ドリッパーにペーパーフィルターをセットする楓。俺たちはなにを見せられているのだろう。静かすぎる。それからだいたい2時間。会場にいる何十、何百の来賓に、一杯一杯、入魂の共同作業を抽出し終えるまで、俺たちはこの場を去ることができない。鶴見の元へ、ようやくコーヒーがやってきた。濃い藍色の釉薬が艶めかしい光沢を放つマグカップを厳かに手に取り、ちびりと飲む鶴見。美味しそうだ。俺もはやく飲みたい。