0065 あらゆる

あらゆる

 私の中に僕がいる。
 いや、もしかしたら、僕の中に私がいるのかも。
 とにかく、自分の中には、私と僕がいて、ついでに言うと、俺も、あたしもいて、もっと言うと、オレもボクもいて、アタシだって吾輩だってワシだって、存在感は薄いけれど、ちゃんといる。いるんだよな。
 ええ……?
 と、聞いたあなたはひるんでしまうかもしれない。えっと、つまり、”そういう”人? 心と身体の性別がうんぬんかんぬん、ってやつ? なんにせよ、面倒くさいやつだな、と。
 たしかに面倒くさい話ではあるけれど、でも、自分は”そういう”人ではなくて、いや、”そういう”人だったとしても、一応は、(社会性や社交性はともかく)ちゃんとした人間、なのです。
 今の私が過去の僕を思い出すとき、過去の僕が未来の私を思い描くとき、そこには想像と現実が交わり合うリアルがある。自分の中にはたくさんの一人称が散らばっていて、過去を、未来を思うとき、今を生きるとき、そのときそのときで、私や僕やあたしやオレなんかが、もぐらたたきみたいにひょっこりと顔を出す。中学一年でオレはオナニーを覚え、高校三年で僕はすべての志望校に落ちた。高校二年で俺が始めたベースは今も売らずに持っていて、私はそのころ、あなたのことが好きだった。あなたは、僕や俺のことしか知らないだろうけど。
 そしてときには、複数の一人称が、自分の中で同時に顔を出す。傷ついたオレを私が慰め、笑っているアタシに僕が水を差す。私やわたしやアタシが恋をすれば、僕や俺やオレやボクが、きもちわるいと叫びだす。逆もそう。私があなたを好きになっても、僕が他の誰かを好きになっても、違和感を主張する俺やアタシがいる。いつだって、そう。この先もたぶんそうだ。
 でもそれはあなただって同じだ。
 きっと、とか、たぶん、とか、あえて付け足さないで、同じだ、と私は言い切る。
 あらゆる人の中にはあらゆる感情がまたたいている。喜怒哀楽やそれ以外の感情、どれか一つだけで生きていくことはできないし、どれが欠けても生きていけないし、生きてきたことにもならない。怒りに打ち震えたあとに安らぎを求めるように、つかの間の安らぎのあとには怒りや悲しみが必要なのだ。幸福だけでは人は生きていけない。私だけでは私が生きていけないように。
 私は今日も眠る。私の中には僕がいて、僕もまた眠りにつく。やわらかいものに囲まれた布団の中、そのうちの一つを抱き寄せて眼を閉じる。
 日本も中国もアメリカもドイツも、インドもロシアもガーナもチリも、京都も、京都以外も、この地球上の世界中は、あらゆる母親のお腹の外だ。未来も今も過去も、すべてが重なり合う「この場所」に、わたしも、わたし以外のあらゆる人も、立っている。生きている。信じている。
 そんなことを考えながら、私の意識は遠くなる。朝目覚めたときの私が、僕ではない保証なんて、どこにもない。