0042 味覇

味覇

 父方の祖父が死んだ、というLINEが妹から送られてきた。一瞬、部屋というのか手元というのか、ふ、とすべてが時間を置き去りにするような感覚になり、これは知っている、この感覚は、と記憶を探るとわたしは中学生。水泳部だった。プールに入った状態で、プールサイドに立つ顧問に激しく叱責というのか、を受けているときの、心臓のはやさ、つよさ、視界が一点に集まって魚眼のようになっていく、周辺視野が引き伸ばされていくような感覚、このままなにかが、このまま、ずっとこのままなんじゃないかと思ってしまうような間延びされた空気、そういう感覚、知っている、そういう感覚だ。それですぐ、OK!という意味合いのスタンプを送って、しばらくしてから、「わざわざ連絡ありがとう、でも今度からはいいからね」とさらに送って既読はすぐについた。「今度?」「次だれかが死んでも連絡不要ってこと」「了解です」わかりやすく最後だけカチコチの言葉になった妹とのLINEはそれで終わった。ワイヤレスイヤホンを耳に挿し込んで、椎名林檎の「シドと白昼夢」を流した。記憶を探るとわたしは高校生。椎名林檎の曲を聴き始めたそういう時期で、「シドと白昼夢」を何度も何度もイヤホンで聴いていたくて父方の祖父と一緒に車に乗っているときもずっと、助手席でイヤホンで、聴き続けていて父方の祖父は運転席にいて、あまりにもわたしが父方の祖父を無視するから父方の祖父はわたしの肩を大きく揺すって「おい!!」と大きな声で言ってわたしはその大きな揺すりと大きな声がとても不快で、イヤホンをとったあとも生返事しかしなかった。その感覚。座椅子から立ちあがって、キッチンの冷蔵庫を開けて、先端がかさかさになっている葱と、もうなくなりかけている味覇を取り出して、小鍋でお湯を沸かして、ハサミで葱を切り入れて、そのままハサミで味覇をこそげるように取って、入れて、葱がいい感じになるまでここで、立ったままで、待とうと思った。記憶を探るとわたしは大学生。はじめての一人暮らし。父方の祖父はとらやの最中を提げてわたしの下宿へやってきた。二階建てアパートの一階で、ベランダ側の窓の外にはすぐ隣の四階建てマンションの外壁がそそり立ってあったから日当たりが悪くて、その日陰に住む感覚が当時は心地よくて、ここはそういう下宿で、父方の祖父はしばらく居座ったあと、ここにずっといたら気が滅入るでしょう、と言ってきた。そのときの、拳。肩のこわばり。その感覚。イヤホンを耳から抜いて音が聴こえてそれは雨音で、雨か、雨だ、記憶を探るとわたしは25歳。謹賀新年。ワインを持って父方の実家へ行くと父方の祖父は下世話な男女関係と右寄りな政治観と演歌への愛着についての話を繰り返すだけの人間になっていてわたしはひとりで赤い安いワインを飲み続けていていっそこのワインで毒霧でもしてやろうか、と思ったけれどそんなことはしないで、もう二度とあなたとは会わない、と静かに告げたこと。そのときの口の動き。その感覚。簡単に作られた簡単なスープ。飲めば簡単にからだはあたたかくなるようで、記憶を探るとわたしはいま、ちゃんと悲しかった。