火山灰
配達ではないはずだ、と気づいたのは、外履き用のサンダルに足を通して、サムターンを回してからだった。なにも頼んでいないし、祝い事や贈り物の心当たりもない。お歳暮の時期でもないし。なにかの勧誘だろうか。引き返せなくなってドアを開けると、手ぶらに近い格好で知らない人間が突っ立っていた。「こんにちは〜」「あ、こんにちは」「火山灰、あの」「はい?」「灰。火山灰をいただけないかと」「灰」「あ、はい。あ、灰、へへ。えーっと怪しいものでは」「はあ」「ないので」「……はあ」「見たところ。いやちょうどいい溜まり場。灰の溜まっている場所を探していて」「……ええ」「見たところこちらの家のベランダ、の、ヒサシっていうんですかね、ベランダの、あの」「はい」「気持ちよく、景気よく、溜まっているなあと思って」「なんなんですか」「えっ?」「ご用件は?」「あっ、え〜〜〜わたしの名前はアダムです」「はい?」「えっと、アダムです。アダム・ボンヤスキーといいます」「はあ」「ちょっといま灰を。煙草の灰とか銭湯のボイラーの灰とか、そういう灰ではなくて他でもない火山灰を、えっと集めていて、」「……はあ」「集めているんですけど、駄目ですか」「いや……」「集めているだけなんです」「はあ」「怪しいものではないので」そういうわけで、アダムと名乗るやたらと背が高く浅黒い肌をした男のような人間が、わたしの家のベランダで、車のワイパーの先端を折り曲げたような器具を使って器用に灰をかき集めて、あっという間に去っていった。去り際、ありがとうございます、助かりました、と言うアダムにわたしは、それで、いったい何が目的なんですが、と問うと、アダムはしばらくわたしの眼を見つめてから、目的がなかったら駄目なんですか、と言った。それじゃあ、とアダムが玄関のドアを開け、視界から消えてしばらくの間、わたしは玄関に突っ立ったまま、怒りでも悲しみでも恐怖でも喜びでもない涙を流していた。夫と娘が帰ってくる前に、バッティングセンターにでも行こう、そう思いながら。